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大崎平野 奥中央の山は栗駒山

いちめん田んぼ
いちめん田んぼ
いちめん田んぼ
いちめん田んぼ
いちめん田んぼ
いちめん田んぼ
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見渡す限り
いちめん田んぼ

かつて山村暮鳥は、菜の花ばたけを、「いちめんなのはな」の繰り返しでうたった。

詩人は、見渡す限りいちめんに咲く菜の花を見て、言葉を失い、同じ言葉の繰り返し、詩の「禁じ手」を使うしかないと腹をくくった。

我がふるさと宮城県の北部に位置する広大な大地は、仙台平野の一部だが、それとはわけて、大崎平野、或いは大崎耕土、とも呼ばれている。

見渡す限り田んぼ。平成の大合併前は、一つの市、五つの郡にまたがっていた。

戦国時代、伊達政宗は大崎氏の所領だったこの平野に目をつけ、権謀術数と武力をもってこの肥沃な平野をものにした。

武士の俸給が米。言わば米本位制の江戸時代。ここで取れた米は川を下り、石巻から、江戸へと運ばれた。

ところが、この宮城県、気候的にいうと意外に適していない。梅雨明けが遅く7月末になるのだ。

海水浴は数日すると、土用波となって泳げなくなることも多い。多分、秋田、山形に比べれば、米の収量は一、二割少ないはず。

だが、そのハンディは、見遥かす平原の前には無力だ。山地が多い秋田、山形とは耕地面積が圧倒的に違う。 

子供の頃、ここに自然はないと思った。どこまでも平らなこの土地が「自然」そのものだとわかったのはつい最近のことだ。

大崎平野は、きっと、人間にとっての「空気」みたいな存在なんだろう。

一番大切なものだが、住んでいる人々は誰も意識しないもの。

悠久の時を越えて、静かに、そして確かにあるもの。それがわが大崎平野だ。