ヒトリシズカ(ヨシノシズカ) 2010 4.23
今年も庭の「ヒトリシズカ」が咲き出した。
確か一本か二本を移植したはずだったが、年々増えてくるようだ。
シズカと言えば、ドラえもんのしずかちゃんや、キムタクのお嫁さんの静香さん、個人的に言うと、中学生の頃の憧れのY,静子ちゃんなのだが・・・・・・・。
移植したばかりの数本の時は、合わせた手のひらの間から、楚々とした花が出て、一人たたずむ静御前のイメージぴったりだった。
しかし、こうも乱立(林立?)してしずかちゃんがいっぱいになると、こちとら凡人は、晋の武帝司馬炎が宮中に1万人の女性をはべらし、夜伽(よとぎ)を選ぶのに羊の車が止まった所を選んだという故事などが浮かんできたりもする。(したたかな女たちは、入り口に、笹を立て塩を盛って、羊を誘導したという、水商売の「盛り塩」の起源とか)
そんなことをつらつら考えていると、ボクの意識も次第にシズカの林の中に・・・・・・
静御前、確か頼朝に捕らえられたはず。
舞が上手で素敵な女性だったとか。でも頼朝は、自分の母「常盤御前」を捕らえながら、自分のものとした「平清盛」のようにはしなかった。
一方おごる平家清盛は、捕らえた三人の子供を連れた常盤に惚れてしまった。
恩が仇になったと言うのか、色が身を滅ぼしたと言うのか、生かした子供、義経と頼朝にきっちり仇で返されてしまう。
それに比べ頼朝は、自分の生い立ち、その後のおのれの行動を判断の基準にした。「他人もそのようにするだろう」と。
美貌の静には目もくれず、義経の首級を差し出した泰衡にも容赦しなかった。
昭和25年、平泉金色堂の藤原4代のミイラの学術調査が行われた際、「吾妻鏡」の、額に釘を打ち付けてさらしたという記述通り、額に穴が空いた泰衡の首があったそうだ。
頼朝に義経や奥州藤原氏を鎌倉幕府に取り込む選択肢はなかったのか・・・・
美貌の静御前を我がものにしようとは思わなかったのか・・・・
・・・・・桜花爛漫の頃、ひとりしずかの林で夢にふけっていた私は、やがてハクション大魔王がつぼから出るように元の大きさになって外に出た。

