突然湧き上がった「義経」への想い、そして「平泉行」も、一っところにとどまれない、とどまりたくない「回遊魚」としては、そろそろお別れしなければなりません。
この心の旅で浮かび上がったのは、「男の苦悩」
兄頼朝に追われた義経は、秀衡を頼りに平泉に逃れます。
黄金を背景に栄えた奥州平泉藤原氏は、治外法権的な位置で、微妙なバランスを保ち成立していました。
頼朝は自分の許しも得ず官位に就いた義経を許すわけにはいきません。鎌倉政権は、秀衡に義経の首を差し出すことを求めます。
秀衡は、義経の首級を求めた頼朝政権は、やがて奥州に攻め入るだろうと、義経を軍事面の総大将に、内政は息子泰衡にと、決戦を考えます。
義経にとって不幸なことに、その年、父とも慕った秀衡が亡くなってしまいます。
今度は息子泰衡の苦悩の日々が続きます。鎌倉からは、やんやの催促。
義経の首級を差し出すでもない、鎌倉に攻め入るでもない。2年あまりの月日が流れました。
泰衡は300騎を従え、高館の義経を急襲します。
義経の首は美酒に漬けられ、炎天下「京」に運ばれたそうです。
頼朝は、今が政権を万全にする千載一遇のチャンスと考えました。
やがて泰衡は討たれます。後に戦国時代と呼ばれ、群雄割拠した時代もありましたが、所詮コップの中の嵐。
「まつろわぬ民」の一角、叶わぬ夢は消えてゆきます。
松尾芭蕉は、元禄二年(1689)5月13日(陽暦6月29日)平泉四代の館跡、義経の居館、高館を訪れます。
「夏草や 兵(つわもの)どもが 夢の跡」
芭蕉さんも、生い茂る夏草に、「男達の苦悩」を見たのでしょうか?