正月明け、今年もまた雪山遭難のニュースが飛び込んできました。
昨年の、富士山での片山右京さんらの事故は耳に新しい話です。
何故、人は雪山を目指すのでしょう?
実は、晴天の雪山は、一年中で一番清々しく、そして優しい顔を見せてくれるのです。
月山姥沢リフト終点
ことに春になると数メートル、ところによっては数十メートルの雪が、寒暖を繰り返すことによって締まり出し、全山どこを行っても山頂へたどり着けるようになります。
こうなると、岳人たちはいてもたってもいられません。なにしろ、夏は寄せ付けてくれなかった沢や藪が、登山コースになるのですから。
「寒いんでしょう?」雪山を知らない人は、こう尋ねます。
いいえ、違います!雪山は暑いんですよ。
冬山用のウエアで登り始めると、瞬く間に汗びっしょりになります。
実はこの暑さ、汗対策が重要になってくるんですね。ヤッケやスキーウエアの中の濡れた下着は、立ち止まると冷えてきて、登山者に牙を向きます。
ですから、休む時、今度は体温を下げない工夫をしなくてはなりません。
そこで登場してくるのが、濡れたままでも体温を維持してくれるウールや、体温で乾かすことの出来る化繊のインナーウエアなんですが、長い休憩で、風を入れてしまったりちょっとしたタイミングで、どんどん体が冷えてきますから、その時は思い切って着替えて、重ね着をします。
極論を言うと、冬山で遭難して生還するためには、活動を止めた時、体温が下がらなければいいとも言えます。
雪山の遭難者は息を引き取る時、どんな心理だと思いますか?きっと「辛い、悔しい、苦しい」だと思いますよね。僕は意外に安らかだと思ってるんですよ。
前にも言ったように、体を冷えないようにする、或いは動きを止めなければ死ぬことはありません。
ですから、死ぬときは、その闘いをやめた時なのです。
闘いをやめて「楽になりたい」と思った時、冬山登山者に死が訪れます。
つまり、苦しみから逃れて、今より楽になりたい方向に向かうわけですから、ボクは安らかになれると思うんです。
ボクは、GPS、ツェルト、アイゼンetc・・・・・装備は完璧です。でも、単独行、或いはリーダーとして、雪山に入ることはありません。
もし入るとすれば、ホワイトアウトと呼ばれる視界ゼロの条件下で生還できるリーダーの元か、自分にその抜群の体力と技術が身についた時と思っています。

