東京散歩 念願の「江戸」を歩きました。

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御茶ノ水橋から聖橋を望む



 いつか歩きたいと思っていた江戸の町を歩きました。断っておきますが、実はボク、東京あまり知らなくて、年に一度神保町の古書街に行く程度なんですよ。ですから、おかしな案内や解説だと思ったら、コメント下さいね。では、出発しまーす。
 

上の写真、あとからわかったのですが、遠くに見えるビルの上の赤い広告看板が秋葉原の「石丸電気」 あのあたりが、世界の「アキバ」だったんですね。下を流れるのは神田川、こうせつの「あなたはもう忘れたかしら」の雰囲気にしては、この辺りは切り立った深い谷間だから、悲しくせつない歌の舞台はもっと下流なんでしょうね?この近辺は人工的な掘割で、その掘削は仙台藩が担当したので別名「仙台堀」とも呼ばれたとか。

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嘉永6年本郷湯島絵図拡大(複製岩橋美術)


 池波正太郎が江戸切絵図散歩で紹介しているように、幕末には江戸の町を30余枚の地図で表した、切絵図が出版されました。今日はその内の本郷湯島絵図と、下谷絵図、駿河台小川町絵図を基に江戸散歩とシャレてみることにしました。 地下鉄丸の内線御茶ノ水駅を出て、御茶ノ水橋を渡ると、JR御茶ノ水のわきに聖橋(ひじりばし)があります。

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JR御茶ノ水駅



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聖橋(ひじりばし)



 嘉永6年、尾張屋清七版には、水道橋しか見えませんから、この二つの橋は明治以降にかけられたものでしょうか。今日はこの聖橋を渡って行きたいと思います。

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嘉永6年本郷湯島絵図拡大(複製岩橋美術)

 聖橋を渡ると右手に湯島聖堂が見えます。

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聖堂案内板



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湯島聖堂



 湯島聖堂は元禄3年(1690年)5代将軍、綱吉が儒教を普及するため、孔子等、儒者を祭る孔子廟として建てたもの。現在の建物は関東大震災で焼失し、昭和10年(1935年)建築の鉄筋コンクリート作りだ。何故か、味気ない建物のようでしたが、江戸時代にも4回の火事で焼失しており、当時のものはほとんど残ってないことから仕方がないのでしょうね。


 気を取り直して北に向かうと、間もなく神田明神が見えてきます。この間を通る道が「中仙道」だ。切絵図には「甲州街道」なども、特に表記がなく、宿場の名前を追って理解することも多い。この道を北にたどって行くと(地図で言うと右斜め上方向)加賀の前田家百万石(加賀宰相殿と表記)の上屋敷があり、そこが現在は「東京大学」となっているのだが、今回は北東方向(右斜め下方向)上野を目指すこととする。

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神田明神



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神田明神は、江戸の総鎮守と呼ばれ、祭礼には江戸城に入ることを許されたので、「天下祭り」と呼ばれたとか。

舟木一夫が歌う「銭形平次」では、なんだ神田の明神下で~え~え(こぶし利かせたつもり)、胸に思案の月を~見~るとありましたが、石段から明神下を望めば、投げ銭は持ち合わせていませんでしたが、平次親分の気持ちになれたような気がしましたね。

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妻恋神社



 その北側、清水坂と書かれた石柱の先を右に曲がったところ、うっかりすると通り過ぎるような場所に妻恋神社がありました。別に妻が恋しくなったわけではありませんが、名前がいわくありげだから、寄ってみました。残念ながら、怪しいことはありませんでした。

 日本武尊(やまとたけるのみこと)夫妻を祭る神社で、妃が身を投げて日本武尊の東征を助けたとか。建物の込み入ったところに、ひっそりとありました。

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地図中央が湯島天神



 道を戻り清水坂を真っ直ぐに進むと、湯島天神に突き当たります。湯島天神はかつて「江戸三富」の一つといわれ、現代の宝くじの元祖のような富くじが境内で行われ、にぎわったとか。いつの世も同じなんですね。「湯島の白梅」もここのことなのでしょうが、勉強不足でよくわかりません。境内の中央の梅の葉が、晩秋のわりにはしっかりとついており、江戸は暖かいんだなと思いました。

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湯島天神



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奇縁氷人石



 奇縁氷人石と書かれた石碑には、一方に「たずぬるかた」、もう一方に「をしふるかた」とあり、迷子探しの石として貴重なものだとか、境内で行われた富くじといい、この石といい、往時の江戸の町の賑わいを思いおこさせますね。
 

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嘉永四年尾張屋清七板 下谷絵図(拡大)



 湯島天神を下ると、程なくハスの葉がいっぱいに生い茂った不忍池が見えます。

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不忍池

 秋も深まり間もなく初冬、ハスの葉が枯れかかってるのはやむを得ないですね。江戸の時代も「山の桜に池の蓮」として、江戸きっての名所だったそうですが、ボクはそこから上野のお山には行かないで、広小路に入ります。

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広小路より上野公園方向を望む



 鈴本演芸場前は、落語ファンが列をなしてました。
 その時ふと「岡埜栄泉」(おかのえいせん)の看板が目に入りました。もしやと思いその和菓子屋さんに入りましたが、果たしてそうでした。

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和菓子「岡埜栄泉」ご主人



 私「もしかして、石巻の岡埜栄泉の本家本元ですか?」ご主人「ええ、先代がウチで修行した方ですよ」
 石巻地方の銘菓「岡埜栄泉」のドラ焼きのルーツがここにあったんですよ。以前、いただき物のドラ焼きでしたが、香りが良くて、あまりにも美味しかったもんですから、ネットで調べたことがあり、「岡埜栄泉」が東京のノレン分けだとは知っていたのですが、まさか今日その店に出会うとは思いませんでした。創業160年、数多くの弟子が(当時は丁稚さん?)巣立って行ったとか。石巻にも一度行ったことがあるというご主人の優しい目が印象的でした。


 本当はここから広小路を真っ直ぐ進み、秋葉原の電気街を通って、調子をこいて迷子になりながら、神田神保町の古書街にたどり着いたのですが、疲れたので終わりにします。ブログ最後までお付き合いありがとうございました。

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今回神保町でゲットした古書



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中央俎橋から西方向(右)が神保町駿河台小川町絵図