高倉健さんが逝かれましたね。
お店でも寂しいねって話しでもちきりでした。
高倉健さんは福岡県中間市の出身。
同じ福岡県人としても、1人の人間としての生き様を見たとき、素晴らしいなぁと心から思います。
高倉健さんの作品を映画館で見たのは、たった1本だけ。
その作品は、「鉄道員」
浅田さんの原作を読んで映画館へ行ったのですが、泣けましたねぇ。
主人公の生き様が、まんま高倉健さんに重なってみえたのかもしれません。
劇中で流れる、テネシーワルツ。
このテネシーワルツが使われるようになった背景は、高倉さんがもし自分が主人公だったなら、テネシーワルツだなぁと言われたからだとか。
テネシーワルツは、高倉さんの元奥様、江利チエミさんの代表作なんですよね。
ゆったりとした美しい旋律、慕情感溢れる楽曲。
私にとっても、このテネシーワルツは特別な思い出があるんです。
それは、私の育ての親だった叔母の大好きな曲だったから。
よく、キッチンで歌っていたのを思い出します。
3人娘の中で一番好きなのは、江利チエミ!
あのハスキーボイスとトンチがきいたコメディアンヌぶりが大好きだったんですね。

私が11歳のとき、悲報が流れます。
江利チエミさん死去。
テレビで流れるニュースを一番に叔母に伝えたのも私。
叔母はびっくりして、なんで!どうして!しんじらんない!を繰り返すばかり。
そうですよね、江利チエミさんはまだ45歳だったのですから。
自分もその歳に近づいてくると、やっぱりまだやり残したことがいっぱいあっただろうなぁとか、死にたくなかっただろうなぁとか思ってしまいます。
叔母も42歳で亡くなったので尚更で。
当時のワイドショーでは、色んなことが報じられてました。
芸能人にプライバシーなんてないな、と思ったのもこの時。
高倉健さんと江利チエミさん、大恋愛の末の結婚、でも江利さん側の親族とのトラブルも原因で離婚。
大好きだったから、迷惑をこれ以上かけたくなかったから、別れる。
騙されて背負った多額の億という借金を自己破産せず、地方巡業などで支払った江利さんの心意気のすごさが胸を打ちます。
江利さんが亡くなり、本葬式の日は、なんと高倉健さんの誕生日であり、2人が結婚した日だったそう。
これも、運命なんでしょうか。
高倉さんは、本名でお花を贈り、それから毎年お墓参りは欠かさなかったとか。
83歳の天寿を全うするまで、再婚もせずに独身を通しましたね。
映画「鉄道員」では、小さい頃に亡くした娘の霊が、ちょっとずつ成長して主人公の前に現れます。
はじめは気がつかなったけれど、最後にはっと気がついて、抱きしめる。
このシーンが大好き。
江利さんは1度懐妊されたけれど、中毒症にかかり堕胎されていたことを後で知りました。
もし、この赤ちゃんが生きていたら2人の運命は変わっていたのかもしれませんよね。

高倉健さんは寡黙で喋らないイメージが強かったんですが、その印象がかわったのは10年ほど前にNHKのローカルニュースで。
江戸時代に40代の未亡人がお伊勢参りを福岡から行った日記が発見されたと報道があっていました。
女性だけで、歩いて行く壮大な旅です。
旅の日記はバイタリティーに溢れ、四季の移り変わりや食べ物のうまい不味いまで書かれてあったとか。
その著者がなんと、高倉健さんの何代か前の親族の方だったそうで、インタビューを受けてあったんです。
あの寡黙なイメージがw
よく楽しそうに話してあったんですね。
当時の生活習慣からいっても大冒険なんですよね。それがすごいって。
一気に好きになりました(*^_^*)

プライベートを全くといっていいほど話さない。
いつでもどこでも低姿勢で威張らない。
いつも同じ服を着ているようにみえるのは、全く同じ服を何着も気に入ったら買うからなんだとか。
今、芸能人はプライベートを売りに活動してある方も多いですよね。
ブログが普及して、手の届かないスターではなくて、手の届くお茶の間芸能人ばかりになっちゃった。
そんな中で、高倉健さんの生き様って、やっぱりすごいなぁと改めて思います。
一本芯が通った生き方。
芸能人ではなくて、ひとりの役者として、いや、ひとりの人間として。

樹里さんとも一度共演して欲しかったなぁ。
45歳で亡くなった江利チエミさん、83歳で亡くなった高倉健さん。
あの世で再会は果たせたかしら。


昨日は、YouTubeで久しぶりに、テネシーワルツを聞きました。
昭和51年の音楽番組です。
当時、私は5歳。叔母は34歳。
江利チエミさん、39歳。
歌声は永遠ですね。
変わらずに名曲でした。
そして、小学生だった私をふっと思い出させてくれました。
懐かしい叔母との思い出も。

人生は一度きり。
悔いなく、生きたい!そう思います。