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自分自身も楽しみながら、頑張るんじゃなくて、力を抜いて何かを生み出す、そんな人間になりたいですね。


barf / もうすぐ、22歳ですよね。20歳から現在までの自分を振り返ってみて、感じることありますか?


樹/    若いエネルギーがあると思います。 今も21歳の目で世間を見てるし、作品にも取り組んでる。
これまで、意味なく出会った作品はないし、出会うごとに自分にとって意味のある壁にぶつかって、いろんなことを教えてもらえる良いきっかけにもなりました。
だからこそ、この仕事を続けて行こうと思えるんだろうなって。


barf / 演技について、意識するようになったことはあります?


樹/    自分が好きなようにやればいいって、最近思います。
でも、監督に理解してもらえないのは嫌だし、意味がないと思うんですよ。
だから、まず、やってみて、それを見て感じてもらってから本番に入る。
芝居は、もっと気楽にやっていいんだなぁって気付きました。
頑張れば良い作品が出来るわけでもないと思うし、この仕事は自分が楽しくないとできないんですよ。
自分を大切にというか、自分で自分を自由に動かせてあげて、自分で自分を見守っていこうって心のどこかで思ってて。 
 自分のやりたいことを進んでやっていいんだよって、もう1人の自分がどっかで見ているような感覚というか。 
 それくらいの気持ちで自由に楽しくやることができないとダメなんですよね。 
芝居には間違いとか正しいってないから、それさえできてたらいいんじゃないかな。例えば、1シーンに全ての意味を込めたり、説明して演じなくてもいいんですよね。シーンとシーンの間の描かれてない部分だって、自分で想像すればいいし、観客も自然に想像してくれるだろうし、自分が思ったように描けばいいんですよね。
それ以外に何があるのかな?って。
最近は、監督に演出されることも少なくなって、頼られることも多いんですよ。
 自分たち役者だけでやってみて芝居を固めていく。
演技が過剰だったら抑えてもらうくらいで。 あとは自由に泳ごうみたいな感じでやってます。
以前はもっと台本と向き合って役づくりをしていたんですよね。
それも大事なのかもしれないけど、結局撮影の時は、脚本は持たない訳じゃないですか。 台本は、ある意味説明書みたいなものだから、それを持たずにどれだけできるのかってことだと思う。 
 こうしなきゃ、ああしなきゃって思うと、どんどんつまんなくなってきちゃうし。 人間だから、一回読んだだけでも感じるところってあるじゃないですか?
それをそのまま演じればいいんだって。 今、撮影している、ラストフレンズも、ストーリーが半分以上進んでいるんですけど、(私の演じている)瑠可という役で、その世界の中に居れば、もう全部O.Kで。
演技が上手いとか下手とか、そういう風に演技だって観られている時点でダメだっていうか、さっきも言ったように頑張るってことじゃないんだなーって思います。


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このインタは前回のCUTの内容とかぶるのですが、より詳しく語っています。
一見、自由奔放に好きなようにやりたい!とわがままにもとれる文章だと思います。
でも、樹里さんの語る自由さとは、役を演じることから生きることへのひとつ志の高い自由さのような気がしています。
人一倍、周りを気にしてしまうと語っていた樹里さん。自由に!の言葉は、責任感が強く、なんでも凝ってしまう生真面目さから出ている言葉であると思います。
自分を解放してあげて作っていく。
そんな過程のインタは何度読んでも胸に迫ってきます。

21歳から22歳。
自分に置き換えると、しっかりしているなぁと関心してしまいます。
15歳から単身上京。
7年一人暮らしをしているところからも地に足がついている所以でしょうか。

そんな樹里さんの芝居以外のお話はまた明日にでも( ´ ▽ ` )ノ



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