代表です。

早いもので7月に入りましたね🍉
先日職場のミーティングで「今年も半分終わりですね」という話が出て、まじか、と衝撃を受けました。
たしかに、1月から考えたら6月末でちょうど半分…。
全く意識してなかったです。
ついつい日々のことに忙殺され、日常の繰り返しの中に埋もれさせてしまいますが、そういう節目やまた新しくスタートを切れるようなタイミングは、大切にしていきたいなぁと思います。

そして気づいたら月1ぐらいの超スローペースなブログになってしまっていますが。
前回の話のつづきになります。
病状の話など少し重めな話があります、読んで辛くならないよう、適度に読み飛ばしていただけると幸いです。

文末表現に拘りだすと、言いたかったことがブレがちなので、ここから先は急に文体が変わりますがあしからず。

↓↓↓

団体名に含めた砦という言葉の話。

まだ団体立ち上げよりも前、方向性が見えなくなり、個人的に気持ちの落ちていた時期があった。

これまで文字通り心血注いでいた活動母体が無くなったことが大きな要因。
渦中にいる間は全く気づいて居なかったが、数年の中で徐々に精神状態が悪化しており、感覚的にもおかしくなってしまっていたので(単純に働きすぎだった)、
そこにダメ押しとなる出来事が重ったことで、完全に抜け殻になってしまった。

目標が無くなり、人も去り、何もできない自信も無い、ただ自分だけが残された。
強い罪悪感の一方で、誰もが敵であるように感じ、ありもしない憶測に本気で怯えるような始末。
結果的に後からうつ病の診断が付いたが、半ば意地になっていたし気を紛らせたかったのもあって、休養等はせず、
「せめて後始末くらいは時間がかかってもしよう」とのろのろ動いていた折に、SFD21JAPANの活動に出逢った。

SFD、そしてその理事長の小野本道治さんが懇意にしてくださったのが、福祉への想いを再認識し、団体を立ち上げるきっかけになっていったと思う。

その頃の自分は、一支援者というよりは、生きる目的を失ったただの腑抜けた若造だったのだが。
自分の現状を打ち明けても決してそういう風には見ず、支援者や有資格者としての意見を求めて耳を傾けてくださったり、役割を与えてもらったりした。
SFDのSはSoul(魂)の意味で
(本当は別の意味だったらしいが表向きはそうなっているので、ここで出すのはやめておく)、その言葉通り、自分もそこで支援魂を取り戻させてもらったと思う。
残念ながらアームレスリングの才能は皆無だったが。

そうしてSFDに身を寄せ教えをいただく中で、小野本さんが繰り返し使われており、印象的だった言葉がある。
「自分たち民間が最後の砦にならなければならない。そういう思いでやっている」
「最後の砦になるのは、行政や既存の支援ではなく民間」
そこから自分の中に『最後の砦』というマインドが根付いた。

砦、という感覚は、福祉支援に携わる者の間ではわりと広く共通認識としてあるだろうが、一般的には、少々伝わりづらいかもしれない。
現代社会の中で、何がそれほど人を脅かすと言うのか。
一体我々支援者は、人を何から守る砦でなければならないのか。
犯罪や事件、事故に巻き込まれる可能性は、無いとは言い切れないが、そういった特例的なものだけでなく、もっと身近に高い可能性として『敵』は存在し得ると思っている。

孤立や孤独。
自責・罪悪感。
自己否定・自己価値を見出せないこと。
居場所、もっと言うと安全な身の置き場が無いこと。
行き詰まり、どうにもならないと諦め、絶望すること。

これらは突き詰めれば、肉体的・精神的両方の意味での『死』に繋がるものだと思う。
身体的な病気が無くても、裕福な環境にあっても、心の在り様ひとつで人は死ぬ。
それこそが防ぐべき『敵』だと思っている。

さらに、
「人をその人たらしめる構成要素や『らしさ』、小さな希望というのは、案外日常の中で、いとも簡単に傷つけられ、失われ、奪われるものである」
ということ。
そんな傷つきや生きづらさを抱えながら、なんとか今日の一日をギリギリ保って生きている人があまりにもそこら中たくさん居るということを、これまでの支援や自分自身の経験から、身をもって知った。

懸命に関わっても甲斐なく、連日連夜家で問題を起こす子ども。
疲弊した保護者の方からの長電話。
深夜の「死にたい」連絡。
情報共有と落胆ばかりで、一向に解決に向かわないケース会議。
匙を投げていく医療・行政・福祉サービス。
受け入れ先が無い、誰も支援できない、制度が無い、策がない、良くならない、出口が見えない、希望がない。

想像以上に、何も変わらない。

人と心を通わせ、立ち直らせ、制度や機関につなぎ、連携・協力して、一緒に自立へ向かう。
心理や福祉職に憧れていた学生の頃に思い描いた、理想のソーシャルワークからは程遠く。
福祉の現実は、とても厳しかった。

福祉とは、支援とは一体何なのか。
なんの意味があるのか。

残念ながら、自分の浅い支援歴と人生経験では、まだその問いの答えにまでは至っていない。
もしかしたら大して意味は無いのかもしれない、ただ「自分のやっていることには意味がある」と思い込みたいだけじゃないか?と思うことも少しある。

でも、仮に意味があるとして。
どうなりたいか、何ならできるかは、少しずつ見えてきたように思う。

その在り方として一番しっくり来たのが、『砦』だった。

磐石の城では到底無いけど、誰かひとりふたりぐらいの心をいっとき繋ぎとめるための小さな砦になら、ちょっと頑張ればなれるかもしれない。
決して良い状態にはならないのかもしれないが、でもそこで今日この日をギリギリ持ち堪えている人が居る以上、自分はそこを退くわけにはいかないのだ。
我々は最後の砦であり続けなければならない。

同じ支援者でも、色々な考え方があるだろう。
ちゃんとした制度や機関につなぎ、現状の困難を打破しなければ意味が無い、そのための支援者であり専門職だと思う方も居るに違いない。
自分もできればその方が良いとは思う。
砦であるが故に脆さもある。緊急手当をしたら、早くもっと基盤のしっかりした拠点に移さないと、せっかく掬い上げても無駄になってしまうだろう。次に砦に来る人を受け入れることも、できなくなってしまう。
そこは今後経験や知識をもっと積んで行かなければならない部分だと思う。

全てを救うことはできないと分かっている。
でも、『砦になる』というマインドを持つことで、自分から「誰かを諦めなくて良くなった」。
それはこれまでの自分からすると結構大きいことで、何よりもまず、自分にとっての少しの希望になってくれている。
そのため団体名に『砦』という言葉を刻んだ。

これは偶然だが、現状維持や持ち堪えるイメージの『砦』とは、まるで正反対のような
TRY(トライ、挑戦)- D(Dream、夢)
=夢に挑戦する 
で、トリデという言葉を構成する形になっている。
福祉の暗さや底知れなさを補い、どうあっても自分たちだけは希望を捨てずにいようという気持ちだ。

まだまだできることは少なく、迷いも悩みも尽きない。
でも、取るに足らないかもしれないが、『砦』を団体名に冠するのを決めた時の覚悟の気持ちは、都度思い返すようにしたい。
そうすることで、小さいながらもちょっとだけしゃんと背筋を伸ばして、もう少しこの場で踏ん張り、誰かを支えることができそうな気がしている。


長く、ちょっと重くなりましたが、こんな感じで『砦』のお話でした。

まあ普段我々のやっていることと言えば、側から見たら、いい大人がこどもと大差ないくらいの感覚で、お喋りしたりお出かけしたり、ゲームで遊んだりボドゲで遊んだり…遊んだり遊んだりしているだけに見えそうなので、
このような支援観や福祉観は、今後ももっと深めて考えていきたいです。

駄文ですがお付き合いいただきありがとうございました。

次回はまた8月かな…??
さすがにもうちょっと投稿頻度を上げたい気がしています。
今回ちょっと話が重めだったので、次は事業部長にあそべーす及び福祉×エンタメの話でもしてもらいましょう。
何も伝えず勝手に書いてるから、きっと読んで驚いてるでしょうね。
よろしくお願いします。

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