乱捕稽古で怒られた | 金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒としての自覚を促すべく旧タイトル「練習日記(仮)」からタイトルを変更しました。

内容は変わりません。

よろしくお願いします。

昨日の道場で、怒られました。



術科を高校生に教えていて、「次は何の技がしたい?」と聞いたところ、高校生から「久しぶりに乱捕をしたいです」との回答が。


自発的な乱捕要望は僕の待ち望んでいたものでもあり、喜びこそすれ断るものではありません。



最近高校生も乱捕になじんできたので少しずつこちらも手を出して、自由攻防でやってました。



一通り終わった後、指導員の方に「どちらの練習をしようとしているのかわからない。相手の受けの練習をしているのか、自分の練習がしたいのか。正直見ててただの自己満足に見える」と。



こちらの意図としては、(少林寺拳法の練習はぬるく、武歴は詰みあがっても実戦では足がすくむ人が多いと僕が思っているという前提でいいますが)相手がホントに攻撃意欲を持って自由に攻撃を仕掛けてくる中で、それに対峙するということにまずは慣れてもらうというのが第一の目的。


慣れると、相手の攻撃の応酬の中でも意外と安全なところとか、そういうものが見えてくるので、そういった勘を養ってもらいたいというのも目的です。


指導者の人が、その後提唱した空乱を練習しましたが、その方法・目的は「相手を攻撃しようと思わなくていい。とりあえず手を出して、手を出された方はとりあえず何らかの反応をすること。そして即座に反撃をするように。もし、相手が居ついていたりしたら、そこを指摘するように攻め立てるのはOK」というもの。


ぼくはこの練習方法も素晴らしいと思っています。



切り返しを学ぶこと、相手との呼応を学ぶこと、リラックスした姿勢で乱捕を行うことなど、そういった目的での練習方法としてはいうことありません。


でも、やっぱり当てないことを前提とした道場の中のきれいな稽古だけでは身に付かないことがあるのも事実。



高校生には「どちらの練習も正しいと思ってる。もちろん「正しさ」は、練習の「目的」をしっかりとらえたうえで定まるもので、逆にいえば練習目的がぼけていると、何をしても正しい練習とは言えない。君らがどういう風になりたいか、どういう能力を伸ばしたいか目的をはっきり持って、それに応じた練習をしてくれたらいい。なので僕は今日怒られた練習方法自体を全くやめるということはしない」と言っておきました。



でもまぁ、全体との調和も考えて、もう少し受け入れられやすい方法に変えることも検討が必要です。


まだまだ甘めにやってるつもりなんだけどなぁ。