組織の大きさとその目的 | 金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒としての自覚を促すべく旧タイトル「練習日記(仮)」からタイトルを変更しました。

内容は変わりません。

よろしくお願いします。

僕は武道をたしなんでます。

結構名前の売れてる武道なんですけど、

それがどういう意味で名が売れてるのか?

と考えるとちょっと切ない思いが胸を去来するような、そんな武道です。


印象としては「弱い、へたれ」みたいなのが多いんでしょうか。

夏だと言うのに胸の中は冷たい風が吹きすさんでおります。


何が悲しいか?


否定できないから悲しいんだ。


もちろん組織を槍玉に挙げて、

「空手よりキックボクシングのほうが強い」

などと言うことに意味は無いことは重々承知していますし、

『どうせ言うなら統計学的に平均求めたり分散求めたりしたうえで話しろや!』

とか思ったりもします。


でもね、やっぱり僕のやってる武道は、そのメンバーの強さ(「強さ」もあまりに抽象的ですが)の

分布を取ってみるとだいぶ悲しいことになるかと思います。

これはもう事実、受け入れるしかない。


しかしそれでも心のよりどころはある。

「強い人は強い!」

なんども瞬殺でボコされたことがあります。

そして「人は人、自分は自分」。僕は強くなります。がんばります!


まぁ弱いながらも和気藹々としている練習風景が嫌いなわけではないんです。

居心地はいい。でも道場として、修行の場として、どうなのか?とは思います。

とりあえず自分のスタンスとしては

『和気藹々なままで強く』ということが理想的。

練習方法を工夫して和気藹々なままでみんなが強く?それはいくらなんでも欲張りな気がする。

『みんなは和気藹々として楽しく。自分は強くなって武道の名を守る』

これが出来たら最高ですね。


   ・・・でも同じ武道の人からは白い目で見られるんですけど(笑)




でも黒帯講習会みたいなところで腹筋10回出来ない人とか見ると・・・さすがに泣ける!


あ、そうそう題名のこと忘れてました。


いつからこうなってしまったのでしょう?

組織が出来上がったころはそれこそ殺伐としてて猛者がごろごろしていたと聞きました。

組織が大きくなるにつれてやっぱり大衆化するというか、監督の目も行き届かないという理由からか

弱体化の一途をたどっているように思えます。


和気藹々とみんなが仲良く、が目的だったのか、

それとも強健な肉体・意志を持った人間を作るのが目的だったのか。


なんかどちらも目指していたように思います。

ただ、今の現状はあまりにも前者に傾倒しすぎていて後者は省みられていない。


ここからは一般論ですが、

異なる目的を一つの組織が掲げた場合、組織が大きくなるにつれてリスクを伴う目的はないがしろにされ、

達成しやすい目的にのみ終始して、

目的に適っている

という錦の御旗を振りかざしてしまうものなのでしょうか?


抽象的ですが、なんとなく漠然と思ったことです。

意外といろんな組織がこれに当てはまってる気がしなくもない。