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今日はミーティングも現場もスケジュールもなくて、ランチの後、1人オフィスでミースのDVDを観ていた。

今日は雨で、ブラインドを少し上向きにして、ディスプレイに映るミースの建築をぼんやりと眺めた。

オフィスには模型が溢れていて、設計中のプロジェクトは同じ5つの《敷地》に5つのパターンで違う建築が《建って》いる。
1/20スケールのある室の模型は2つ積み重ねてプリンターの上を占拠しているし、現場監理を担当している某プラントは同じ模型を4つ無印の紙袋に詰め込んでいる。

建築模型を造る時、まず思い描くのは《形態》で、それが《機能》するかが必ずバックボーンにあることを知る。

『形態と機能なのであり、両者を引き離し、引き裂いてしまう科学的分析に落ち込んではいけない。
それを結びつけたい』
と、ライトは言っている。


レイクショアドライブは好きなミース建築のひとつだ。
ミースは鉄を見事に形態的機能に昇華させている。
明快なグリッドはストラクチャーを単純化させているだけでなく、鉄の持つイメージを決定的に変えている。

『コンクリートは徐々に好きになった。鉄はほどほどに好きだ』
ルイス・カーンはそう言ったが、鉄が自然を支配していたり、事象に反しているとは思わない。

I・M・ベイはレイクショアドライブについて『機械化された社会がものを製造し建設する方法が、もっとも完全な形であの建物で表現されている』と語った。

『機能とは近代建築におけるフランケンシュタインのようなものだ。
そこで建築家はじっと座して機能が何かを生み出すことを待っていたが、何も起こってはいない』
サーリネンは、機能を過信してはいけない、機能が人間を幸福にするとは限らない、ということを言っているのだろうか。
これは現代のデジタルツールと同じだ。


ウィトルウィルスのお陰で、私たちは古代ローマ時代のテクノロジーを知ることができる。
彼らは、自然の力だけで、都市の中に噴水や水飲み場を造り、市民の為にパン工場を稼働させていた。
建築の定義とは、『すなわち美・用そして強である』
(「建築十書」より)