こんにちは!
こやながわです。
読みに来てくださりありがとうございます。
今日は、2月22日。
にゃん、にゃん、にゃん!と
猫の日だそうですが
みなさん猫はお好きですか?
私はあまり猫が得意ではないかなぁ。
なので、猫カフェは
一生行かないと思います(笑)
全然ドラマとは関係ない話で
始めてしまいましたが
『クジャクのダンス、誰が見た?』
第5話はご覧になりましたか?
今回、ある言葉が13回も登場していました。
何だかわかりますか?
そう…「真っ当」という言葉。
これほどまでに繰り返される言葉には
やはり重要な意味が込められているはず。
物語の中で、心麦と松風は
春生の手紙に名前があった
東賀山事件の元弁護人・三木田辰雄に
会いに行きます。
そこで三木田は
「人として真っ当であることが大事だからね」
という理由で
春生に松風を紹介したことを語りました。
この「真っ当」という言葉が
その後のシーンでも繰り返し登場し
強く印象づけられました。
そもそも、「真っ当」という言葉の意味を
辞書で調べると・・・
「道理にかなっていること。
正しく誠実であること。」
とあります。
つまり、
✔ 正直でいること
✔ まっすぐに生きること
✔ 道理に沿って行動すること
…といった意味合いを持つ言葉ですね。
では、ここで考えてみたいのが
「自分自身は真っ当であると言えるか?」
という問い。
物語の中では、「真っ当であること」が
何度も強調されていましたが
現実の世界ではどうでしょうか?
例えば
✔ 誰かを傷つけたくなくて、つい本心を隠したことはないか?
✔ 自分の利益のために、ほんの少しだけずるをしたことは?
✔ ルールを守るべきだと分かっていても、つい例外を作ってしまったことは?
どんなに誠実な人でも
一度もそういったことをしたことがないとは
言い切れないはず。
つまり、「完璧に真っ当な人間」なんて
いないのかもしれません。
ただ、それでも
「真っ当であろうとすること」は
大事なんじゃないかな、と思います。
完璧にはなれなくても
真っ当な選択をしようとする気持ち。
それこそが、人としての誠実さ…
ですよね。
自分の選択が「真っ当」であるかどうか…
何かを決断するときに
一度立ち止まって考えてみるのも
いいかもしれませんね。
『クジャクのダンス、誰が見た?』
次回の展開も気になります!

