こんにちは!
こやながわです。
読みに来てくださりありがとうございます。
まだまだ続く雪。
今朝も、外一面真っ白でした。
こんな日に、朝早くから
長男の部活の送迎だなんて…辛すぎます。
今夜もどっさり降りそうなので
明日の部活はお休みになってほしい…。
と、心の中で祈るのでした(笑)
さて、まったく話は変わりますが
昨夜放送の
『クジャクのダンス、誰が見た?』
第3話はご覧になりましたか?
記者の神井から
“伯母と血が繋がっていない”と
DNA鑑定書を突きつけられた心麦。
それを確かめるために、伯母の自宅へ。
そこで伯母から突き付けられた言葉
兄弟でも親子でも、相手のこと全部知るなんてできないのよ。
で、話は戻しますが
心麦は「私は、父の娘です」と強く言い切り
でも伯母は
「春生のこと、全部知っているとでも?」
と返す。
このやり取りを聞いていて
「私たちはなぜ、相手のことを知っていると
思い込むのだろう?」と考えてしまいました。
たとえば…
- 家族のことを知っているつもりだったのに、ある日突然、知らなかった一面を見せられる。
- 友人のことを理解していると思っていたのに、実は違う価値観を持っていた。
- ずっと一緒にいる相手でも、心の奥底まではわからない。
でも、なぜか
「知っている」と思い込んでしまう。
どうしてなんでしょう?
これは、おそらく
「予測ができる方が安心できる」という
心理があるからかもしれません。
相手のことを理解していると思えば
「こういう人だからこういう行動をするはず」
と考えられる。
そうすれば、急な変化に戸惑うこともなく
安心できるから。
でも、現実には
そんなにシンプルじゃないですよね。
人は変わるし、隠していることもある。
「全部知っている」と思っていたら
いざ違う一面を見たときに驚いてしまう。
相手を「知っている」と思い込まず
「もしかしたら知らないことがあるかも…」
という前提で向き合う。
自分が安心したいという
気持ちもあるかもしれないけれど
本当の真実を知りたいのであれば
自分の思い込みを常に疑わないとですね。
という言葉が、何度も登場していましたが
何が真実なのでしょうねぇ~。
謎が多くて、面白いです!
心麦はこれからどう向き合っていくのか
そして真実はどこにあるのか…。
この先の物語の展開を
楽しみにしていたいと思います!!

