こんにちは、体が喜ぶコミュニケーション術の専門家
こやながわです。
読みに来てくださってありがとうございます!
ということで、昨夜と今朝と
『西園寺さんは家事をしない』を
2回もすでに観ていますが
皆さんはいかがですか?
ドラマ開始39分40秒〜
横井:
昆布と後で使う鰹節は
最終的には、鍋の外に取り出します。
できあがった麺つゆに形としては残りません。
ですが、味としては残っています。
存在しているんです。
それって、人生に似てるなぁって。
たくさんの人と出会い、やがて別れる。
でも、味は必ず残っているんです。
記憶の中に。心の中に。
次に一歩を踏み出す勇気に。
時に、苦い味になることもあります。
だからこそ、出会いはかけがいのないものだと
知ることができ、大切にすることができる。
皆さんはどうですか?
自分の中に、どんな味が残ってますか?
誰の中に、何を残しましたか?
僕は、この鍋を見ながらそんなことを考えてます。
そして、自分の存在には意味がある。
すべての人の存在にも意味がある。
そう気づいた時に、別れに涙とか後悔とか
必要ないってことがわかるんです。
この人生の例えは、本当に見事だと思いました。
形は残っていなくても、味として存在している。
まさに「エネルギー」ですね!
そして、そんな繊細な部分にまで気づけるのは
日本人ならではなのかなぁと思いました。
察することが非常に得意な日本人。
ただ、良い面でもあり、仇になってしまう面でもあります。
形として残っていなくても
「存在」させることはできますが
できる限り、大事な人の元では
形として存在したいものですね。
「ドラマからSSDが推奨するコミュニケーションを学ぶ」
月曜放送の『海のはじまり』で
夏が発した言葉にSNSでは
色々意見が飛び交ってました。
その意見というのは、
その言葉がいいか悪いか…ということ。
どうしても、これまで受けてきた教育の影響で
『評価』してしまうんですよね。
その言葉に良いも悪いもない。
イメージだけでその言葉を評価し
それを発した人を評価するのは
どうなのかなぁと思いました。

