最近暖かい日が続き、もう暖房のおはようタイマーもいらないと思われた今朝でしたがちょいと寒かったので、ベッドの中から「トリノ五輪フィギュアスケート」を応援しました。
いやー早起きした甲斐がありました。
今大会初の金メダル、日本女子フィギュアスケート初のオリンピックでの金メダルを、見事荒川静香選手が手中に納めました。
今大会日本人選手が誰もメダルに手が届かず、多くの選手の「楽しめたのでよかったです」というコメントにフラストレーションが溜まっていたので、表彰台で手を振る姿を見る前にはもう寝ながら感涙していました。
テレビを見ていて一番感動した場面はイリーナ・スルツカヤ選手(ロシア)が滑り終えた場面でした。
その胸に込み上げたものは演技中に転んで荒川静香選手が金メダルを獲れるかもという期待からのものではなく、滑り終えたときの彼女の表情でした。
といってもどんなに失敗しようともどの選手もスケートリンクを出るまでは顔の表情を演技ではないにしろ作っていると思います。
魅せる競技ですので採点を待つ席でオーバーアクションするのも当然だと思います。
そう考えるとスルツカヤ選手が滑り終えて魅せた彼女の表情に感動したわたしはだまされているのかもしれません。
それでも感動をありがとうといいたいです。
人それぞれ感動するツボは違いますがなぜわたしの場合はこの場面で感動したのでしょうか。
フィギュアスケートに詳しければジャンプなどの技に酔いしれ感動したかもしれません。
残念ながらわたし自身トリプルアクセルやトリプルルッツ、トリプルトゥループの区別もろくにつきませんので、「すごい」とか「身体柔らかい」とか「転ぶな」ぐらいしか感想は出てきません。
そういえばスケートすらやったことありませんでした。
こんなわたしがいったい何に感動したのかと考えた結果どうやらテレビで特集されていたスルツカヤ選手のスケート人生にあると思われます。
そのりっぱな功績の影に「自身の病気と重病の母の看護で十分な結果を残せない時期」というものがあり、そこからの復活に彼女の滑り終えたときの満足げな表情がわたしの心を揺り動かしたようです。
きっとオリンピックの舞台に立つまでのそれぞれの選手の経緯があり、言い訳が効かない一度きりの本番で起こるスポーツの世界をみて感動したのでしょう。
普段の生活においても感動することは多くあります。
本や映画で感情移入するのはもちろんのこと、「生」とか「死」といった人間の永遠のテーマとよべる出来事に触れたときや思い出したときにも感動します。
いい意味でも悪い意味でも人は心揺り動かされ涙してしまうのでしょう。
わたしは最近小学校の頃の文集を見て感動しました。
こんな汚い字を書いてりっぱな夢を綴っていたわたしがよく大人になれたものだと当時を思い出してしまいました。
最近の小学校の文集はワープロで作るところもあるそうです。
きっとパソコンで保存できることや文集の必要性などなど絡んでのことでしょう。
それを聞いたとき悲しいことだと思いました。
「小学生だった頃の気持ちはなにも文章だけでなく文字にも宿っている」
当時漢字を知らなくてひらがなだけで書かれた文や「あ」という文字だけがなぜか大きくしか書けなかったことなど、そこには自分だけの文字が生まれていく過程が詰まっていると思います。
今書いている文字の原点がそこにあり、ずっと綴ってきた自分だけの文字の歴史が積み重なって今の文字があります。
パソコンでプリントアウトした決まりきった形の文字が並んでいる現代ですが、自分だけの手書きの文字に浸る時間も必要だと常日頃思っていますがいかがでしょうか。
ここで自分だけの文字に必ず出逢えます。
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