わたしは20年以上日記を続けている。
もちろん途中3日ほど抜けたこともあるが、それでもほぼ毎日の習慣になっているようだ。
日記を書くのはいったいなんのためかと疑問に感じるかもしれない。
確かに自分以外見ることもないものをだらだらと毎日書いてるだけだから、ノートや鉛筆それになにより時間の無駄遣いだ。
そんなもん必要ないと思っている方も多いと思うし、三日坊主で続かない方や自分の日記を読み直して内容の無さにリタイヤする方もいると思う。
つまり毎日の出来事がノートにびっちりかけるほど、日常にはそんなにめまぐるしい変化は存在しないのだ。
こんなことを思っている割には、なぜわたしが20年以上も続いているかというとそれなりのコツがあるからだと思われる。
わたしが日記を付けだしたのは小学生の時で、その時の先生が毎日の宿題として日記の提出をさせた。
はじめは先生に見せるものだからと子供なりに体裁を気にして、単なる出来事の箇条書きに過ぎなかった。
それに対し先生は生徒全員に日記の感想として質問を書いていった。
例えば「晩ご飯にハンバーグを食べました」という文を書くと先生は感想に「ハンバーグは何でできているのですか?」というように返してくる。
すると次の日の日記には今日の出来事の他にハンバーグについて母からいろいろ聞いたことを日記に書いて提出しなきゃならなくなり、話題に事欠くことなかったし食べて終わりだったハンバーグ一つとってもその知識は大きく広がっていった気がする。
『日記の最後は必ず疑問形(?)で終わらせる その答えがでれば未来の日記に書く』
こう決めてから、わたしの日記は1日1日完結する短編のものではなく、長いスタンスでつながり続けるリレー方式と呼ぶべきものとなった。
日常の疑問や探求心というのは必ず毎日出てくるし、その答えを探しているうちにまた他の疑問が浮かんでくる。
とりあえず何か浮かんだらノートに書き留めておくが、それでも解決できない疑問がたっぷり溢れている。
日常の出来事よりも思ったことや疑問について書いているわたしの20年以上のある種の歴史を日記と呼ぶにはどうだろうという意見もあると思うが、日記を続けて良かったと思うことがある。
それは知ったかぶりをしないことだ。
例えばテレビのコメンテーターの意見や新聞の内容をそのまま自分の意見として受け止めずに、いい意味で疑ってみる。
無駄に調べ物してしまうこともあるが、こうすることで自分はこう考えるという意見を持てるようになった気がする。
それはちゃんと自分の言葉や意見に責任を持てるということではないだろうか。
・ブログを読んで日記を書こうと思ってくれた方に一つご忠告いたします。
プライベートな日記とブログで公開を目的とする日記はあくまで別物と考えた方がいいかもしれません。
というのも誰かに見ていただくのを目的、またはそのことを頭の片隅にでも置いているとどこか浮ついたというか綺麗事というかメッセージ性の強い発信する文になり、自分の内面と向き合う自己形成と呼ぶべき自分の肥やしにはならないと思います。
でも小学校の先生と日記のやりとりをしたように、継続の癖を付けるためや他の人の意見を聞くなどの目的でブログ日記をはじめるのもいいかもしれませんね。
おまけですが屋根裏に積み上げられた日記ノートの山を見ると自分についての百科事典、または歴史書物に思えてきてうれしいもんですよ。
最近は文字にその時の気持ちも記憶できる万年筆で書いてます。
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