#テニス #ウィンブルドン #錦織圭 75,46,76,36,26 ランデルクネク 今更ですが感想を。悪くなかったでしょう。特に1日目の方が力が入っておらず良かったのでは。錦織の調子のバロメーターの一つに、フォアがあります。バックが入るのは基盤。バックが入らない時は、論外ですから(続く)
— Tadahiro Yoshimatsu (@HiroYoshimatsu) 2024年7月5日
吉松さん、現地に行かれた様子はなかったし、Xもリポストばかりで自身の呟きがないなぁと思っていたけども、久しぶりに試合を見た感想を残されていたのですね。
やはり思い入れを持って、見ていたんだなぁというのを感じるポストだった。
鬱憤を晴らすような頭ごなしかそれとも見下げるように小馬鹿にする批評にはうんざりだけど、概ね彼を好意的に思っている人たちの、試合を見ての感想を読むのはとても楽しいと自分は思う。それらを読みながら、ああそうそう、というふうに、推しがこんなにみんなから待たれている存在なんだと再認識するのが嬉しい。
自分の推しを、推しを好きな人みんな、好きのままだと思えるのが心地よいのだ。
自分は、推しのテニスを面白い、と思えるのは、それは推しを好きだからだ、と思っている。
どうしようもなく好きな人がするプレイだから、面白く感じれるんだと思う。
ワクワクハラハラするのも、その対象をどうしようもなく好きだから。
仮にこの人強いけど、つまらんなと思うのは、その選手をあまり好きでないからだと自分は思う。
結局、プロという見られてなんぼのエンタメは、プレイする人の人間力、人間性が勝負なのかなと思う。
見ている人の心にいかに訴え、いかに自分を好きにさせることができるか、自分の虜にさせることができるかだと思う。応援を受けるというのは、その選手に人を魅了する力があるかどうか、ということだと思う。それは単に顔立ちだけじゃないわな、全体的な雰囲気、声、発言の内容、体系やプレイスタイル、その他多岐に渡ると思うけど、いかに自分を好きになってくれるファンを増やせるか、ってところかなぁと感じる。ソーシャルメディアでの丁寧で地道な更新活動がなくとも、人間的魅力で本人が望まなくても自然とファンが増え、観るものの心を鷲掴みにしてしまうのが、我が推しだと自分は思っている。だから、なんの更新も情報公開もなく何度もフォロワーを怒らせても、離れるどころか、みんな夜中の睡眠時間を捧げて視聴し、推しの特別になりがたる。睡眠時間や更新がなくて寂しい心配な期間を捧げてあまりある幸せや喜びを、推しが表に戻ってきて姿を見ることで得られるから。
だけど、推しをタイプでない人からすれば、あんなオジンの何がおもろいねん?何が華麗やねん?サーヴも遅いしミスばっかり、さっさと引退せーやとなるし、それよりも背も高く若いサカモトを出せやーってなる、と思う。
自分がサカモトやモチヅキを推しているなら、わざわざ推しの記事のところに来て文句書き込むんじゃなくて、サカモトやモチヅキの記事のところで、サカモトやモチヅキの魅力を説きなさいということです。