錦織圭、股関節の痛みで内視鏡手術…。32歳で半年の離脱は厳しいものがありますが、何とか踏ん張ってもらいたい。
— 長谷部良太 RyotaHasebe (@beeeryo) 2022年1月25日
日本語のメッセージにちょっと弱気な心境がのぞいている気がするのは、絶対に気のせい。 https://t.co/zX2digeVzs
長谷部さんは、そう感じたのか。。。
感じ方は人それぞれ。
だけど。仮に弱気だったらいけないのか?アスリートとしては常に気持ちを強く持たないといけないというのはわからんでもないが、ケイだってアスリートである前に人間だ。弱気になったっていいじゃないか?
いつも思う。
病気や怪我を前に、人は頑張らないといけないものなのか?と。自然に身を委ね流れに任せたっていいじゃないかと。それは克服せねばならないものなのか?打ち勝たなきゃならないものなのか?治らず現状維持なのは弱い人間とレッテルを貼られるのか?治らずあの世に旅立つことは悪なのか?
どうして人は、好きな人のあるがままの姿や思いを受け入れようとしないのだろう?常に自分の理想像を好きな人に押し付ける。こうあってほしいあああってほしいと自分の願いを押し付ける。自分は好きな人と同じだけの苦しみも痛みも努力も味わわずして。
自分は、「厳しいトレーニングを行っていきます」と書く彼に、踏ん張ってもらいたい、とはとても思えない。
待つだけの身分はとても気楽で無責任。
自分は痛さを感じることもなく、厳しいトレーニングをする必要もないのだから。
私は、ケイがそれを望むなら厳しいトレーニングも致し方なし、と思うように努めたいけども、実際には、もうそれ以上己を痛めつけなくても、と考える。これまでも何度も苦境を乗り越えて、なのに神はまた試練を与える。ケイだけに痛みや厳しさを味わせ、視聴者読者はただ言うだけ。
自分は確実にケイよりは長生きしない。
ケイが復帰するまで生きて待っている保証など微塵もないから、ゴール地点でただ待つより、横について一緒に歩いていきたい。よろけそうになれば肩を差し出したい。実際にそれをできるのは、まいちゃんでありハルさんなんだろうけど。彼らの気持ちや努力に思いを馳せ、いつも想像しておきたい。ケイの痛みが少しでも和らぎ、ストレスが軽減できるよう。まいちゃんやハルさんの力が尽きないよう。。。
身体は離れていても、心だけはいつも彼らと一緒にいたい。思いを少しでも共感していたいと思う。
そして。
痛みが2度と彼を襲うことがありませんよう。
落ち着いたらまた姿を投稿してくれると嬉しい。ケイが生きていることは私の生きる支えだから。