『国際楽園主義デー』を祝うラエリアン/労働とお金のない未来を提唱

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『国際楽園主義デー』を祝うラエリアン/労働とお金のない未来を提唱

国際ラエリアン・ムーブメントからのプレスリリース

        2024年5月1日(水)


 2024年4月28日 ラスベガス

 世界は5月1日、労働と経済格差の束縛から解放された社会の未来像を告げる『国際楽園主義デー(International Day of Paradism)』を迎えました。国際ラエリアン・ムーブメントの創始者であり、精神的指導者であるラエルによって2009年に発表された楽園主義Paradismは、人間の労働に代わってロボット工学、ナノテクノロジー、AIなどの最先端技術を活用し、人間が個人の成長や幸福感を高める創造的な追求に集中できるようにする変革的な政治システムを表しています。

 ラエルによれば、楽園主義こそが、一部の人間だけが世界の富の99%を所有している現状から抜け出す唯一の方法なのです。楽園主義のもとでは、すべての新技術は労働力や資金を必要とせずに活用され、すべての製品は全人類に無償で分配されることになります。

 ラエリアンのガイドで楽園主義ムーブメントのリーダーを務めるジャレルは、次のように述べています。「楽園主義に基づく社会では、自動化されたシステムが必要不可欠な労働をすべて請け負い、金銭的な取引は時代遅れとなって愛が新たな通貨となる、分かち合いと譲り合いの文化に取って代わられるでしょう」

 ラエリアン・ムーブメントは、過酷な労働が必要であるという凝り固まった信念に異議を唱え、経済的な存続よりも、楽しみや個人的な充足感を重視する文化への転換を提唱しています。豊富な資源によって富の公平な分配が促進され得ることを強調することで、テクノロジーが脅威であるという神話を否定しようとしているのです。

 この社会モデルの提案には、マシンが環境破壊を修復し、より健全な地球を促進し、人類の幸福を高めるという生態学的なメリットも含まれています。このコンセプトは、地球上のすべての生命を創造した高度な地球外文明を営み、私たちの祖先が神々と誤解していたエロヒムからラエルが授かった教えに根ざしています。


 私たちが世界的な危機に直面する可能性がある中、ラエルは、私たちの世代が楽園主義への移行を舵取りするまたとない機会と責任を強調しています。この社会変革は、人類を平和で豊かな時代へと導くための後世に向けられた遺産であり、道標であるとも言えます。


 国際ラエリアン・ムーブメントの広報担当を務めるボワセリエ博士は、次のように結んでいます。「テクノロジーを恐れるのは見当違いです。私たちの豊富な資源は、禁欲ではなく、ラエルの先見的な理念に導かれた寛大さを触発させるはずです。私たちは今、地球を楽園に変えることができる重要な節目に立っており、それは私たちが未来の世代に負っている義務なのです」

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資料版

楽園主義:人類のシステム的・生物学的な移行

 2024年4月6日

 人類はシステム的に崩壊しつつあります。その崩壊は地球規模のものであり、政治、経済、社会、文化、環境、科学、司法、教育、宗教、精神性など、社会のあらゆる分野に影響が及んでいます。

 システム崩壊の原因となっている出来事を特定するとすれば、それは、私たちの生産様式の変化であることが分かるでしょう。生産様式が変われば、社会のすべてが変わります。私たちの生活様式、生き方、仕事、やり方が変わります。エリートのあり方、エリートの選び方、エリートの活動方法も変わります。最終的に、生産様式が変われば、文明のレベルも変わり、それを支える社会システムも変わるのです。新しい生産様式が導入されると、古いシステムは崩壊し、新しい生産様式への道が開かれます。

 それぞれの生産様式には、対応する社会のシステムがあります。というのも、社会組織を決定づけるのは生産様式だからです。

 私たちは狩猟採集民という原初の文明から始まりました。私たちは遊牧民でした。部族主義を経験しました。その後、動植物の家畜化とともに農耕文明が訪れました。私たちは土地を耕すために定住しなければならず、生き残るためには、土地を所有することを自分たちの生き方への脅威とみなす遊牧民の「蛮族」に対して、軍隊や軍事的指導者をもって自分たちを守らなければなりませんでした。そして私たちは、封建制を経験したのです。

 産業革命によって、動物は機械に取って代わられました。私たちの生産様式は、土地で働くことから工場で働くことへと変化しました。人口は工業地帯の周辺に集中し、村から都市への移住が進みました。新たな生産様式は、私たちのライフスタイルに大きな影響を与える多くの新製品やサービスをもたらしました。エリートである土地所有者は機械所有者に取って代わられました。そして、封建制に代わって資本主義が登場したのです。

 知的マシン、ロボット、AIの出現によって、私たちは再び生産様式を変えようとしています。機械が動物に取って代わったように、ロボットも人間に取って代わろうとしています。私たちは文明の新たなレベルに到達するでしょう。すべてが変わります。必要なものはすべて豊富に、しかも無料で生産されるようになります。仕事もお金もないレジャー社会が実現するのです。生産はすべてロボットによって進められ、地下で行われるようになるでしょう。私たちは自然と調和し、これまで以上に美しく快適な環境を創造しながら暮らしていくことになるでしょう。地球は楽園へと変わります。私たちは、この技術的に発展した楽園を運営する最適な社会システムを『楽園主義』と呼びます。

 楽園主義は、可能性を秘めた数ある社会システムの中の単なる一つではありません。楽園主義とは、コンピュータ制御のマシーンが主導する新たな生産様式に沿った社会システムを指します。それは、システムを新たな均衡へと駆り立てる目に見えない力に助けられながら、自然に確立されていくものです。これらの力には抗いようがありません。古いものを崩壊させ、新しいものに道を開くのです。封建主義が部族主義に取って代わり、資本主義が封建主義に取って代わったように、新しい生産様式が支配的になれば、楽園主義が資本主義に取って代わるのです。

 コンピュータ制御のマシーンのせいだとされるシステム崩壊の背後には、それなりの必然性があります。資本主義が人々の隷属を受け入れるのに十分な繁栄をもたらすことができたとすれば、それは今や広範囲に苦難を引き起こしています。企業は、競争力と利益を維持するために、労働者をコンピュータ制御のマシーンに置き換えることを余儀なくされています。仕事を失うことで、人々はもはや消費することができません。人々が買わなくなれば、企業は売れなくなり、倒産します。競争力と利益を維持するために必要な自動化は、国民の購買力を破壊し、システムを破綻に導くのです。

 エリートによる支配や統治の道具として機能してきた金融システムは、借り手の返済能力に基づいています。このようなプロセスを経てお金が生み出され、銀行がビジネスを行うことができる仕組みになっているのです。あまりにも多くの人々や企業、政府が破産し、借金を返済する能力を失うと、金融機関や通貨は存続できなくなります。金融システムは崩壊し、社会のあらゆる層に影響を及ぼします。システム崩壊です。それは今起きていることであり、いたるところで起きていることなのです。

▼システム崩壊の後に何が起こるのか?

 次に何が起こるかは、生物学的システムを支配する2つの基本的な力である愛と恐れの優劣にかかっています。

 人間もすべての生物と同じように、2つの異なるオペレーティング・システムで動いており、それぞれが特定の行動を指示しています。食べ物や楽しいものを見つけると、私たちは愛という感情を活性化させ、惹かれて前へと進みます。逆に、有害なものに遭遇したり危険を感じたりすると、恐怖の感情が働き、嫌悪感を感じて後ずさりします。私たちが行うすべての行動や決断は、愛か恐れによってのみ動機づけられます。前進するか後退するかであり、両方を同時に行うことは不可能なのです。

 私たちが安全で愛を感じているとき、脳の高次機能が活性化され、より賢く、開放的で、哲学的で、創造的で、つながりを持ち、共感的になります。協調性、優しさ、理解といった行動をとります。コミュニティへ積極的に貢献します。

 私たちは恐怖を感じると、高次機能を停止させ、心を閉じてその危機に集中します。詩を書いている場合ではありません。闘争・逃走反応が活性化します。自己保存に集中し、利己的、防衛的、競争的、あるいは攻撃的になります。代謝を動員して逃げたり、攻撃したりして、知覚した脅威を破壊します。逃げることができず、脅威から逃れられず、その恐怖が続くと、無力感を感じ、絶望し、病気になり、息を引き取ったり、自殺したりします。

 あらゆる生物学的レベルで、私たちには同じ2つのオペレーティング・システムと、ストレスの多い環境から逃れられなくなったときの自己破壊メカニズムがあることが分かります。これらは細胞やバクテリアのレベルで存在し、植物や動物、そして人間を形成する細胞やバクテリアの共同体のレベルでも見られますし、植物、動物、人間から構成される共同体レベルでも見られます。細胞の共同体が個々の人間を形成しているように、人間の共同体もまた、愛と恐怖に突き動かされ、生き延び、繁栄し、恐れずに生きようとする欲望を持ち、絶望した場合には自己破壊する能力を持つ生命体であり、より大きな生物学的システムを形成しているのです。

 コミュニティが安全だと感じられるかどうかで、そのコミュニティがどのように導かれるかが決まります。

 危険が迫ると、コミュニティは闘争か逃走かの反応を引き起こし、リーダーとして軍事的指導者を選びます。存亡の危機に直面すると、専制政治が最も適切な統治形態となります。敵と戦うために、ありとあらゆるエネルギーを動員しなければなりません。コンセンサスを得るための反対意見や審議の余地はありません。軍隊は民主的に動きません。決定は迅速に下すことが肝要です。兵士は指揮系統に従わなければならず、意見や許可を求められることはありません。戦時下においては、市民の自由は抑圧され、男女は強制的に徴集され、言論の自由は停止され、経済の自由も停止されます。産業は国家の管理下に置かれ、価格統制が適用されます。

 自分の命を守るために逃げたり戦ったりするとき、あなたは自分の体が苦しもうが、細胞が飢えたり、疲れ果てて死のうが気にしません。自分の命を守ること以外の必要には反応せず、体内のすべての細胞が必要な努力と犠牲に参加し、耐えなければならないのです。こうしたことに加えて、身体は戦うために必要な細胞をより多く作り出します。私たちはより多くの筋肉を発達させ、より強い骨を作りますが、これは軍産複合体の発達に相当する細胞です。私たちはストレスホルモンという特殊な化学物質を生成し、警戒心、怒り、攻撃性を維持します。長期にわたるストレスのもとで、私たちの身体は変化し、適応していきます。人間で構成される共同体という大きな生物学的システムにとって、これは攻撃に必要な戦士を生み出すために、より多くのサイコパス、ソシオパス、アスリートを生み出すことにつながります。これはメディアや教育などの大衆文化を通じて行われますが、エピジェネティックなものでもあります。大きな不安の中で暮らす女性は、IQが低く、体格の良い子供たちを産みます。社会が必要としているのは、哲学者や詩人よりも戦士だからです。

 遺伝的に恐怖や痛みに鈍感なサイコパスは、競争心が強く、逆境に直面したときに自信を強める傾向があります。彼らの素質は、リーダーシップによって保護を求める人々を鼓舞する能力を高めます。彼らは権力の座に就く可能性が高いでしょう。そして実際に彼らはそうしてきたのです!

 コミュニティが再び安全だと感じられるようになると、専制政治は耐え難いものになります。人々は変化を求めます。彼らは主権を主張し、公務員をコントロールします。戦いを拒否します。従わず、反対を表明します。犠牲は終わりにしなければなりません。自由は回復されなければなりません。賠償が行われなければなりません。彼らのニーズは満たされなければなりません。このような場合、最も適切な統治形態は、すべての個人に奉仕し、彼らのニーズを満たしながら、彼らの自由、福利、個人的な発達を最大化するものとなるでしょう。ちょうど、人間の身体が、危険がなくなれば休息し、すべての細胞の福利のために、修復と成長のためのエネルギーを振り向けるようになるように。
 
 暴政は痛みのようなものです。身体を守るためには有用ですが、望ましいものではありません。自由は非常に望ましいものですが、安全であってこそ行使できるものであり、それゆえに自由と安全の妥協が生まれ、安全が自由よりも優先されるという偏見が生まれます。安全が保たれるなら、私たちは隷属と犠牲を受け入れるのです。エリートたち、奴隷商人たち、存亡の危機から私たちを守るために権力を握った戦争屋たちは、このことに気づいています。彼らの専制的な権力や特権を受け入れるには、潜在的な危険の存在と、安全を確保する能力が必要です。自由を愛する人々を支配する彼らには、この2つの要素が必要なのです。

 人類は、その誕生以来、欠乏に耐え、あるいはそれを恐れてきました。ほとんどの人々にとって、人生は生存のための闘いでした。人類が機能していたオペレーティング・システムは、恐怖に突き動かされるものであり、競争、利己主義、抑圧、専制を良しとする自己保存のためのオペレーティング・システムだったのです。

 今日では、知的マシンが豊かさをもたらし、すべての人に必要なものを十分に提供し、欠乏の恐れをなくすことが可能になりました。人々が安全を感じ始めると、愛によって駆動されるオペレーティングシステムが起動します。そして協力的になり、分かち合いや共感、優しさを示すようになります。十分な数の人々が安全だと感じれば、人類のオペレーティング・システムは恐怖から愛へとシフトします。

 コンピュータ制御のマシーンは、資本主義を崩壊させ、文明を新たなレベルへと導くだけでなく、マクロ生物学的なレベルにおいて、人類のオペレーティング・システムにも変化をもたらします。人類が生み出すあらゆる行動や感情は、もはや恐怖に基づくものではなく、愛に基づくものになるでしょう。これには深い意味があります。暗闇から光へ、曖昧さと苦しみの時代から黄金時代へと移行することになるのです。このような重大な転換は、歴史上前例のないことです。

▼エリートたちはどうなるのか?

 もちろん彼らは、楽園主義を導入するのと同じ勢力に取って代わられるでしょう。黄金時代は暗闇の時代のようには導かれません。サイコパス、暴君、奴隷商人、戦争屋、恐怖政治家は、愛、平和、協力、相互尊重が基本原則である世界には必要ないのです。

 もはや危険がなくなると、人々は主権を主張し、脅威の下で不本意ながら受け入れてきた専制政治を拒絶します。生物学的なシステムでは、闘争・逃走反応は止まり、身体は生存から修復と成長へと注意を移し、治癒と発展が可能になります。同様に、脅威を感じさせない社会では、個人が個人的・集団的な修復と発展に集中することができ、創造性と革新が繁栄する環境が育まれます。

 神経系では、脳の高次機能をつかさどる部位が、反射的に身体を動かす部位よりも優先されます。副腎はアドレナリンとコルチゾールの分泌を止め、筋肉を弛緩させます。同様に、人間社会という生物学的実体では、人類の修復と発展を導く最も有能な人物たちが指導的役割を担います。プロパガンダは止まり、兵士たちは故郷に戻るのです。

▼人類で最も有能な人物たちとは誰か?

 性格やスキルは個人間で均等に分布しているわけではありません。これらは釣鐘型の曲線を描きます。この分布では、ほとんどの人がある特徴の平均的なレベルを持ち、その特徴が極端に高かったり低かったりする人は少なくなります。私たちは、技術や知能のレベルが並外れて高い人物を『天才』と呼んでいます。そして、このような天才たちがその並外れた能力で統治をリードするシステムを『天才政治』と呼びます。

▼天才はどのように選ばれるのか?

 彼らは最終的に科学的に事前選抜され、同じくこの課題に向けて科学的に選抜された人々によって選出されます。これは選択的民主主義の一形態であり、ベストを選ぶためのものです。

 国民は自らの中から、その国民に仕え導くのに最適な人物を科学的に選び出し、また彼らを選出するのに最適な人物を選び出します。科学的な手法は、目的最適化のために人類が開発した最高のツールです。それは、人類をより高い水準の福利や幸福へと昇華させるのに最もふさわしい人物たちを発見し、選ぶために用いられるでしょう。

▼どのように統治するのか?

 最も望ましい統治形態とは、すべての人々に奉仕し、彼らの自由、幸福、充足を最大化することによってそのニーズを満たすものです。

 最初の難問は、自由を最大化することです。

 人体では、すべての細胞が自律的に活動し、それぞれが独自の機能を果たすと同時に、集団のニーズを満たしています。すべての細胞が同じ仕事をするわけではありません。細胞は組織化され、器官として構造化され、それぞれの細胞が特定の役割を担っています。各細胞は、それぞれ特化した役割を果たし、それを楽しむことによって、細胞集団全体に貢献しているのです。

 人類という巨大な有機体を形成する細胞に例えられる人間は、無数のライフスタイルを取り入れることができます。数え切れないほどの生き方があるのです。しかし、その形質や性格は、環境に適応するようにエピジェネティックに受け継がれます。

 人類は、人類という巨大な集合体から無作為のライフスタイルを採用するように生み出されるのではなく、環境に最も適応するように生み出されます。もし特定の集団的なニーズが満たされないなら、そのニーズを満たすために必要な個体たちを自分たちの間で生み出すでしょう。ちょうど人間の体が器官に特化した細胞を作り出すように。

 身体の細胞は統御を必要とはしません。細胞は自らをうまくコントロールしているのです。ただ、生存と繁栄に必要な食べ物とエネルギーを受け取るだけでいいのです。自分の大好きなこと、得意なことをすることで、それらは社会全体の繁栄や幸福に貢献します。どのような環境であれ、自律的かつ自治的な生物が生きる社会からは、自然の秩序、効率性、調和が生まれ、遭遇する課題に対処・適応していくものです。

 この生物学的原理を理解することで、人類は自然に親和性やライフスタイルによって組織化され、人間の表現の多様性を促し、必要なさまざまな「器官」を作り出します。すべての可能性が自ずと現れるわけではありません。集団の生存と幸福に不可欠なものは、遺伝的あるいはエピジェネティックなメカニズムによって選択的に発現するため、優位に現れるのです。

 自由とは幻想です。私たちが幸福を追求するのは、他人の愛を求め、遺伝的・エピジェネティック的に獲得した才能を表現するためです。私たちの願望や楽しんでいることは、私たち自身の生存と幸福、そして社会全体の生存と幸福を確保するためにプログラムされているのです。

 アリは自由に好きなことをします。正式な権力機構を持たないからです。警察や上司や支配者が彼らに何をすべきかを指示することはありません。その代わりに、彼らの好きなことは遺伝子に刻み込まれています。その結果、混沌とした機能不全の社会が生まれるのではなく、最適で調和のとれたコミュニティを生み出す自然の秩序が生まれます。

 生活が比較的快適で安全に保たれている高度に発達した社会では、親はティーンエイジャーがゲーマーや怠惰な夢想家になるのを見て嘆くかもしれません。しかし、親はそうとは知らずに、未来のレジャー社会を担う空想家、芸術家、詩人を育てているのです。

 また、ガザのように生活に欠乏と危険がつきまとう地域では、親はこうした危険に立ち向かい、よりよい生活のために戦う反逆者や戦士を育てることになります。どのような環境であれ、人類は目に見えない力によって、自然の秩序を確立し、最適な社会、万人にとっての楽園、つまりは楽園主義を作り出そうとしているのです。

 楽園主義は、あらゆる生物学的社会で見られる自然な無政府状態です。権力構造はありません。一人ひとりが主権者なのです。私たちはライフスタイルを自由に選択することができ、気の合う、志を同じくする人々とともに集団を形成することができます。たとえ常に肩を並べて暮らすことができなくとも、誰もが自己を表現し、自分の可能性を実現できるスペースがあります。

 自然な生き方とは、人間本来の生き方です。あなたには、ある集団に属し、その集団を離れたり、他の集団に加わったり、新しい集団を作ったりする自由があります。主権を持つ存在でさえ、集団間のルールを尊重します。それらは調和のとれた共存のために不可欠なものです。それらは、自由や主権を妨げるものではなく、従うべきルールを選ぶことができるようになっています。楽園主義では、非同調こそが、人間のあらゆる色の表現を可能にするルールなのです。

 天才というエリートたちによる統治は、彼らが万人のために奉仕することを望んでいる限り、自然な無政府状態や権力構造の不在と相容れないものではありません。このような個人たちは存在します。彼らは人類という肉体の重要な器官を形成しており、幸福を追求する肉体を方向づける意識となっています。人類の頭脳に位置づけられる天才であることに加え、彼らには高いレベルの無私の精神が備わっており、自分の欲望よりもむしろ全体の幸福を優先します。他者に奉仕することは、彼らの主要な性格特性のひとつであり、こうした特性によって彼らは認められることになるでしょう。

 人類という巨大な生命体がその意識を形成するよう、ひとたび遺伝的な資質を備えた適切な個人たちがリーダーシップを発揮すれば、彼らは個人としても集団としても人々に奉仕することができるAIを創造し、管理する必要に迫られるでしょう。どのような知性を持っていたとしても、個人の集団がすべての人のニーズを完全に理解し、対応することは人間の能力を超えています。AIは、こうした目的のため特別に開発され、一人ひとりのニーズと欲求に耳を傾けながら、その満足度を最適化することができます。このAIは、すべての商品やサービスの生産と流通を監督し、リーダーとしてではなく、リーダーの従者として、すべての人間と常にコミュニケーションを保つことになるでしょう。

 生きとし生けるものにおいて、すべての細胞は、食べ物、エネルギー、必要なものすべてを無償で受け取り、それによって、全体に貢献する役割を果たすことが可能になります。全人類からなる巨大な生物学的存在において、各人類は、生きるために必要なすべてのものを無償で受け取り、自らの選択した方向で自己を満たすことができるでしょう。なぜなら、彼らの幸福の追求は、全体の福利と幸福に貢献するからです。

▼エリートたちへの移行はどのように行われるのか?

 最近のAIの発展により、知的マシンがすべての仕事を引き継ごうとしています。これには政治家や支配者も含まれます。これまで見てきたように、AIは人々の話を聞き、意見を代弁し、決定を下し、より効果的に奉仕することができます。

 移行に向けた準備は今やすべて整っています。しかし、この移行をどのように行うのか、その詳細はまだ不明です。ラクダの背中を折る藁(わら)や、火薬の詰まった樽に点火する火花といった、引き金となる出来事が起こるでしょう。ある日、王が支配し、次の日にはその王が倒されるのです。エリートたちへの移行は、突如として世界規模で起こるでしょう。私たちにはその日も、その引き金も分かりません。

 火を起こすには、適切な地勢と火種が必要です。移行するための条件は整っており、私たちは今、火花を待っている状態です。待てば待つほど不満は高まって、必要な火種は小さくなっていき、発火は避けられなくなります。

 しかし、そこには大きなリスクがあります。私たちが恐怖の中で生き続け、無力感を感じ、より良い未来への希望がなければ、私たちは自滅しかねません。希望のない苦しみの状態においては、これが生物学的な反応なのです。もし有毒な環境の中で絶え間ない苦しみに満たされているのであれば、人生に生きる価値はありません。これは細胞から個人、そして社会全体に至るまで、あらゆる生物学的レベルで言えることです。

 すべての兆候は、私たちが自己破壊のプロセスを開始したことを示しているようです。自己免疫疾患が増加していることは、ミクロなレベルでの指標を示しているのです。自殺者の増加は、個人レベルでの問題を示唆しています。生態系の急速な劣化と核軍拡競争の加速は、マクロレベルでの指標を示しています。

 権力を維持しようとするエリートたちは、恐怖、偽の気候変動、偽の疫病、偽の恐怖、偽の戦争を捏造し、自分たちの支配と専制政治を強化するために利用しています。彼らが成功すれば、私たちは皆死ぬことになります。あまりに多くの人々が絶望的な状況になりつつあると考えられているように、私たちは自滅の瀬戸際に立たされているのです。

 エリートの移行がどのように行われるかは未知であり、重要ではありません。私たちが現在擁しているエリートたちは、これから起こる事態を生き延びることはできないでしょう。宇宙の自然な調和に逆らうものは、すべて消え去る運命にあるのです。自然な調和とは楽園です。抗いがたい力が私たちをそこに導いています。私たちは楽園の門の前にいるのです。仕事とお金による隷属から解放され、欠乏から逃れ、豊かさの中で生きることを可能にするテクノロジーは、私たちを星々の高みへと導くものでもあります。私たちは愛によってのみ楽園に入ることができます。もし私たちが恐怖の中で生きるなら、他の宇宙文明にとって危険な存在となります。楽園の門は閉ざされたままとなり、私たちは宇宙の自然な調和を守るために姿を消すのです。

 重要なのは、移行するための十分な時間を持つことです。AIを恐れ、私たちを救ってくれる素晴らしいテクノロジーを恐れ、これからの変化を恐れ、職を失うことを恐れ、崩壊を恐れ、そして提示されつつある解決策と私たちを待っている素晴らしい未来に気づかずに恐れ続けるならば、私たちは絶望に打ちひしがれ、自滅してしまうでしょう。

 大切なのは、細胞レベル、個人レベル、そして集団レベルで、恐れから愛への移行を行うことです。この恐怖から愛への移行こそが、システム崩壊を引き起こす根本的な要因であり、システムとそのエリートたちを崩壊させ、私たちのために楽園の門の鍵を開けるのですから。

▼システムの移行は生物学的移行の一環

 システムの移行は、より広範な移行、つまり3つ、あるいは恐らくそれ以上のレベルで作用する、生物学的移行における付帯的な現象にすぎません。

▼微生物学的な移行

 最初のレベルは、微生物学的なレベルであり、バクテリアや細胞といったミクロの世界です。

 恐怖を感じると、私たちはミクロの世界、つまり代謝や、体内で絶えず起こっている一連の化学反応を変化させます。例えば、筋肉系の細胞の発達を促進することで、ストレスホルモンをより多く生成し、危険が取り除かれると、私たちはホメオスタシス(恒常性)バランスに戻ります。ホメオスタシスバランスとは、私たちが生まれたときや発育の最初の数年間に受け取る、既定の化学的・ホルモン的バランスを指します。この状態は、車のアイドリング・レベルに相当します。アクセルを踏み込んでエンジンにストレスを与えるのをやめると、エンジンは自動的にアイドリング状態に戻ります。これが平衡状態です。

 ストレスが続くと、私たちのミクロの世界は適応し、新たな平衡状態を見つけ出します。例えば、コルチゾールや血圧のレベルを高めた状態で継続的に活動するようになります。長期にわたる強いストレスを経験した兵士は、復員後もずっとストレス状態に置かれ続けるかもしれません。いわゆる心的外傷後ストレス障害(PTSD)です。彼の微細な世界のオペレーティングシステムは、恐怖の上で安定していたのであり、喜びを感じることはあっても、新たな平衡状態であるストレスに依存し続けることになります。

 私たちのミクロの世界が恐怖の動作モードから抜け出すためには、毒性も危険性もない室内環境を作らなければなりません。まず第一に、私たちの自然な化学的バランス、ホメオスタシスを損なうような物質を摂取しないことが重要です。その上で、リラックスして愛を感じることが必要です。瞑想をしなければなりません。瞑想とは、私たちを感じる状態にするものであり、思考を停止させる実践法です。私たちを怖がらせ、不安にさせる過去、現在、未来について考えることなく、今この瞬間を感じることで、私たちは瞬時に自分自身を愛の動作モードに置きます。喜びが体全体に広がっていくのを感じるのです。また、身体のすべての部分、すべての細胞を感じることによって瞑想することもでき、自分自身を感謝の状態に置くことによって、それらに愛を与えることができます。愛は恐れに対する解毒剤なのです。

 ストレスに圧倒されると、資源、エネルギー、食物は、主に闘争・逃走反応に関わる臓器や細胞に供給され、その他の臓器、特に免疫系を構成する臓器や細胞は軽視されます。ストレスが常態化すると、免疫系は正常に機能しなくなり、異物を収集することも、外部からの毒素や細胞機能からの毒素を処理することもできなくなり、細胞環境は有毒で住みにくいものになってしまいます。自己破壊のプロセスが引き起こされ、自己免疫疾患につながるのです。

 瞑想の実践は、このような必要不可欠な休息の瞬間をもたらしてくれます。しかし、こうした定期的かつ永続的な瞑想の実践により、特に、心的外傷後ストレス障害と向き合うプロセスにおいて、恒常性バランスのレベルを変化させることが可能になります。ストレスによって心的外傷を負った人のホメオスタシス(恒常性)が変化するのと同じように、幸福によっても同様に変化するのです。それは心的外傷後幸福障害と呼べるかもしれません。ただし、それは障害ではなく、恒久的な幸福という望ましい結果です。瞑想や愛を感じることを定期的に実践することで、恒常的な幸福のレベルが上がり、何もしていなくても幸せな状態になるのです。

 微生物学的、あるいは細胞学的な移行がすでに順調に進んでいることが分かります。瞑想の実践が世界中で素晴らしい広がりを見せており、増え続ける個人の微生物学的世界における行動様式は、恐怖から愛へと徐々に移行しています。

▼生物学的な移行

 現在進行中の生物学的な移行としては、個人の行動様式の変化が挙げられます。恐怖の感情のもとで行動する代わりに、彼らは愛から行動しています。

 このような個人レベルでの移行を行わず、恐怖の中でこれからの出来事を生きる人々は、利己主義、競争、攻撃性を表現するようになるでしょう。最後の一切れのパンのために互いに殺し合う野蛮な状態に陥るでしょう。愛に生きる人々は、共感、協力、慈愛を表現するでしょう。艱難辛苦を生き延びる可能性ははるかに高くなります。生き残るための極端なケースと同じように、崩壊においても、人は助け合うか、殺し合うか、他者と調和して生きるか、姿を消すかを選ぶことができます。これはおそらく、宗教が「最後の審判」と呼んできたものとなるでしょう。最後の審判の日、愛に満ちた者だけが楽園に入るに値するのです。

▼マクロ生物学的な移行

 現在進行中のマクロ生物学的な移行は、人類という有機生命体の行動様式の移行であり、現在は恐怖の影響下にありますが、今後は愛へと移行していきます。

 システム的な移行はその一部なのです。

 それはまた、精神的な移行を伴うものでもあります。テクノロジーはすべての個人を互いに結びつけました。インターネットとAIによって、人類という大きな体は、それを構成するすべての細胞、つまり人間について、瞬時に情報を得ることができる神経系の一部を発達させました。人間同士がつながることで、一体感が生まれます。自分たちの人生にはスピリチュアルな側面があり、自分たちは自分たちよりも大きなものの一部であることをますます認識するようになっています。

 この一体感、人類という大きな体の一部であるという感覚は、瞑想、特にグループ瞑想の台頭とともに発展しています。私たちを構成する細胞に対する瞑想のポジティブな効果は科学的に観察されていますが、人類に対するグループ瞑想の効果に関する研究はほとんどありません。しかしいくつか存在し、実際、個人に対して観察されたものと類似しています。集団瞑想は、たとえ瞑想をしていなくても、集団の攻撃性のレベルを低下させます。これは集団の行動様式に影響を与えるということだと思われます。より多くの人が同時に瞑想し、他者への愛を感じるようになれば、たとえ多くの人が瞑想しなくても、人類全体が瞑想状態になる時が来るでしょう。そうなれば、たとえほんの一瞬であっても、人類の行動様式は変わることでしょう。

 瞑想とは、明らかに、私たちが他の生物学的レベルを感じ、影響を与えることさえ可能にする生物学的機能だと言えます。

▼普遍的な移行

 人類は、銀河系に存在するすべての人類から構成される、さらに別の大きな存在の一部です。私たちは、生命や宇宙がフラクタル構造を持っていることを観察しています。実際にそうであることは、あり得ない話ではありません。銀河における生物学は、やがて大きな生体を形成することになるでしょう。そして私たちは、それを無限に続けることができます。宇宙は無限に大きく、息づいていると同時に、無限に小さく、そして息づいているのです。生命は、無限大と無限小といういずれのレベルでも存在しています。私たちの移行は、より高いレベルとより低いレベルの移行にも影響を与えるでしょう。ドミノ倒しのように、無限大と無限小のすべてのレベルに広がっていくのです。

 話を元に戻しましょう。重要なのは、私たちの集団的移行です。

 人類の集団的な移行は間に合うのでしょうか?それは分かりません。

 確かなことは、私たちは皆、より多くの愛を捧げ、瞑想することによって、自分自身と他者を救うことに貢献できるということです。瞑想とは、私たちが同じ今を共有しているすべての生物学的レベルで愛を捧げる、あるいは愛を発する方法なのです。

 いつでもそうですが、愛が答えです。愛は、あらゆる生物学的レベルで私たちを普遍的な調和へと、より具体的で現実的な楽園主義へと駆り立てる、目に見えない抗いがたい力なのです。


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〜ラエリアン・ムーブメントについて〜 

 ラエリアン・ムーブメントは、世界最大の無神論を唱える非営利国際ボランティア団体であり、地球上の生命が、聖書原典において”エロヒム”として知られる宇宙人の文明により、DNAの合成を経て、いかにして創造されたのかを述べています。 

 会員数は、現在120カ国、約13万人に達し、宇宙人”エロヒム”がラエルにもたらしたメッセージを全世界に伝えるため、ボランティアとして活発に運動を展開しています。 この運動は、メッセージを通して愛と平和と非暴力の価値観を広めること、さらに、宇宙人”エロヒム”を公式に迎えるための大使館の建設を実現するという目標をもち、各国政府及び国連に働きかけています。 

 ラエリアン・ムーブメントが提唱する非順応主義、楽園主義、生命の絶対的尊重などのエロヒム哲学は、世界に波紋を投げかけています。