私たちは時間と空間の中での砂時計です --- ラエル

NEW!

テーマ:

Rael Maitreya

 

Egor Bernik

私たちは時間と空間の中での砂時計です。
最初は上部に砂がいっぱいで、その下には何もなく、時間は私たちを通り抜けていきます。私たちは真ん中にいて、あなたは砂時計の最も狭い部分にいて、時間は流れています。違いは、上部にある砂の量が無限で、それが私たちを通り抜けて流れ出ていくことです。

マイトレーヤ ラエル

 

 

上の詳細はここにあります:

 

日本語通訳。日本語字幕に設定できます

 

マイトレーヤ・ラエル:神々、神と無限

Maitreya Rael: Gods, God & Infinity 69-03-22

https://www.youtube.com/watch?v=uJ9-q5OnESQ

 

お話の内容を書き出したものです。ビデオと併せてラエルのお話を賞味しましょう。


神々、神と無限大

 

日曜日の集まり、3月22日、69 aH(ヒロシマ後69年目)2015年 

沖縄にて収録

 

今朝は少し話しましょう
宗教の歴史のことを
はじめは
人類は非常に原始的でした
たくさんたくさんの神がいました
いたるところに
彼らが理解できなかった何でも
神がいました
今でも日本ではこの名前を使っています
雷雨、稲妻は
かみなり

今では私たちはそれが神ではないことを知っています
でも 名前はそのまま残りました
前は
人々は本当にそれは神だと信じていました
人間が理解できなかったあらゆるものは
神のようなものでした

太陽は 神でした
エジプト人にとっては ああ…神
今では神ではないことを知っています
あらゆるものが

海の神がいまいた
山 山の神がいました
人々は恐れの中に生きていましたから
あらゆるものが怖かった
だから神はいたるところにいました
もちろん神はいませんでした
でも 祈ることで
食べ物を置いたり
山のふもとに花を置いたり
護ってもらうことを望んでいました
恐れていたからです
とってもこわい
ので どうぞ 神様 私たちをお守りください
そして時は変わり
新しい宗教が来ました
多くの神々
新しい神々
もう山と海からではなく
しかし 突然それは 神々 になりました
そしてギリシャの神々
たくさんの
するとローマの神々
たくさんの
アジアでも
あらゆるところに たくさんの神々が
だから 私たちが進歩するほど
私たちの技術は進歩しますが
私たちの神々も
そしてしばらくして
唯一つの神の考えを生み出した人たちが居ます
一神教
一神教
多神教よりも賢くはありません
逆です
一神教はもっと愚かです
神は一人しかいないので
それがあらゆるものを創造した
無から ワオ
彼は無を取り
何かを作ります
誰にもそれはできません
何も取らず
そして何かを作る
皆さんできますか
誰にもできません
そして 決して生まれず
そして決して死なない
なので この神はどこかに存在します
でも どこにも
どこかに でも どこにも
決して生まれず
決して死ななかった
そして クリスチャンにとっては もっと愚かな
子供が持てます
その子供は神の息子で
ワオ
これは最も愚かな可能性です
そして私たちは進化します
ゆっくりと
そして 私たちはこういうことが分かります
何千年もの間に
多くの神々から
は存在しませんが
それが唯一つの神へと
まだ存在しませんが
そしてエロヒムのおかげで
神々ではありません
私たちはそれをハッキリと繰り返して言わなければなりません
というのも 多くの人たちは ああ ラエリアンたちはエロヒムを崇拝している
んだと考えますから
神のようなものだ と
ですから 私たちは非常にハッキリと繰り返して言う必要があります
エロヒムは神々ではない と
神はいません
彼らは私たちのような人間です
彼らの歴史の中で 彼らは以前神々への信仰を持っていました
その後 1つだけの神へ
そして最後に
彼らは究極の精神性のレベルに達しました
無限
無限は神ではありませんよね
なぜならこう言う人たちが居ます
無限は神なんだ
ノー
神はいません
空間の無限
そして時間の
限界はありません
空間には
そのため 中心はあり得ません
無限である場合 中心はあり得ません
というのも こう言う人たちが居ます
無限は神なんだ
そして彼が中心だ
無限は中心を持つことはできません
中心を持つには たとえば円を持つ必要があります
そして中心はここにあります
でも このメダルは
無限のシンボルです
でも 無限ではありません。
無限だとしたら
身に着けられません
無限はどの方向にも終わりません
このように指を置いたら
無限の方向を示します
無限の方向の中の一つ
でも私の指から来るレーザーのような線は
決して終わりません
終わりはありません
だから 限りが 無い と呼ばれるのです
決して終わらない何か
そしてエロヒム
多くの進歩で
ついに達したのです
無限を理解することに
そして 私たち 非常に原始的な人間は
彼らのおかげで
突然彼らと同じ宗教を持ちます
神のない宗教
真髄に基づいて
私たちはどこにいて何なのかの
そして誰なのか
無限
突然
科学についてはエロヒムと同等になることはできません
不可能です
知識については ノー
でも無限
無限を感じるとき
私たちはエロヒムと同等です
それが彼らが私たちに下さった最も美しい贈り物です
多くの神から一つの神へと進歩があり そして今 無限
でも 今は これ以上の進歩はありません 終わりです
次の段階はありません
次の段階がないのはなぜ
無限だからです
無限は次の段階を持てません
どのように言いますかね  英語ででも名前がわかりません
ガラスでできたもので
このように 中に砂が入っていて
そして小さく そして大きく.
そして 英語ではアワグラス(砂時計)hourglass
前は 時間を測定するために 分かりますね
砂時計
これは皆さんにとって美しいイメージです
スナドケイ
アワグラス
時計が発明される前
時間を測定する唯一の方法

砂時計 アワグラス でした
砂はゆっくりと進み 計算できます
計算は 例えば 一日分の大きなのがありました
そして 分割しました
1時間に  1時間ではなく
1日の10分の1
その後 一日の100分の1に より小さくしました
それから お湯を沸かすために もっと小さなものを作りました
冷水を入れ
水を沸騰させるのにどれくらい時間がかかるか
小さなもの.
そのようにして 時間を測定することができました
時計も携帯電話もありません
私たちは
砂時計です
時間と空間の中の
一番上は
最初は砂でいっぱいです
下には何もない
そして時間は私たちを通り抜けていきます
私たちは真ん中にいます
砂時計の最も狭い部分にいます
そして時が経ちます
違いは 上部にある無限の量の砂
それは私たちを通り抜けていきます
そして流れ出します
私たちはこの砂時計です
世紀のガラス
時間ではなく世紀の
時間と空間について
これらの三角形を下ろすと
2つの三角形があり 引き下ろします
突然砂時計のように見えます
無限に大きい
そして無限に小さい
小さなもの
それは私達です
私達は感じます
無限を
物質の砂時計のように
だから無限小は
意識していません
そして私たちは小さい方にいます
そして 私たちは小さい 無限に小さい ことを意識します
そして無限大を
無限について瞑想したいときは
自分を視覚化します
一種の砂時計のようなものとして
時間ではなく
世紀ではなく
無限のガラス
砂時計 砂の意味は何ですか
スナは砂です  トケイは時計
時計 とても美しい
ベターです
砂 時計 とても良い
無限 砂時計
それとも 無限 砂時計
無限時計 ベター 無限を見る
砂時計の最も小さい部分を通して あなたは
感じる 感じるのです
無限について瞑想すると 理解できません
誰も理解できません
でも 感じることができます
それが瞑想です
美しい一日でありますように