ハン・スーイン  中国におけるキリスト教のあくどさ。 ライス・クリスチャン=一杯のご飯で

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Rael Maitreya

 

(20+) Facebook  フランス語のビデオ 「ライス・クリスチャン」

 

Nobby Raelian

和訳:

非常に感情的に、実際には憤慨して話す人々に対し、私はいつも、中国では宗教は追い詰められ、迫害されていると説明します。彼らに宗教を尋ねると、キリスト教だと答えます。そこで私は、キリスト教は中国の宗教ではないと返します。キリスト教、キリスト、イエス・キリストは。

 

とても立派で、とても優しくて、とても善良なこの男性は、アヘンの木箱に入れられて中国へ送られました。こうして彼は、片手にはライフル、もう片手にはアヘンを持って、私たちのところにやって来たのです。私たちにどうやって彼を愛せというのですか?私たちにキリスト教をどう理解しろというのですか?

 

宣教師たちが自分たちのやり方に少し固執していたときに最初にしたことは、飢饉や洪水になって、貧しい農民たちがもう耐えられなくなった時、彼らに一杯のご飯を与えて改宗させることでした。食べたら我々が洗礼を授けると。洗礼を受けたくないのなら、食べなければいいと。私たちはそれをライス・クリスチャンと呼んでいました。

 

私たちがそれを気に入るとでも思うのでしょうか?

 

彼らは全力で村を買い漁りました。カトリック教会は大地主となり、娼婦街はすべて彼らのものとなったのです。そんな教会を尊敬する人がいると思いますか?それがキリスト教です。

 

プロテスタントのことではありませんが、プロテスタントも同様に酷いものでした。仏教も伝来したものです。中国自身が宗教を作ったことはありません

 

これは本当に驚くべきことです。中国には孔子による道徳観がありました。道教という漠然としたものがありました。しかし、この2つの哲学は、人間の道徳的行動そのものを目的にするものです。天国も楽園もありません。人生の先に、より良い人生が待っている訳ではありません。それらはアヘンのケースで中国に送られたものです。地獄もありません。中国自身が宗教を発展させたことはなく、道徳を進化させてきたのです。

 

 

ハン・スーイン(韓 素音、1916年9月12日 - 2012年11月2日)は、

中国出身の混血の著作家、医師。

ハン・スーインは筆名であり、本名はエリザベス・コンバー (Elizabeth Comber) 、出生名は周光瑚 (Rosalie Matilda Kuanghu Chow) 。

来歴・活動
中国人技術者の父とベルギー人の母の間に生まれる。1931年に北京の病院で事務の仕事につき、のち燕京大学(のちの北京大学)に入学する。

1935年に、母の故郷のベルギーのブリュッセル大学に留学して自然科学を学び、日中戦争さなかの1938年帰国して、成都のアメリカキリスト教病院で働く。中華民国軍の軍人と結婚し、夫は後に将校となる。

第二次世界大戦中の1942年に処女作『重慶行き』を執筆。1944年に渡英、ロンドン大学で医学を学ぶが、1947年に夫は国共内戦における共産党軍との戦闘で死去した。1948年に医師資格を獲得、1949年に英領香港に戻り、クイーン・メアリー病院に勤務する。

1952年に、イギリス軍人のコンバーと再婚し英領マレーに行き、ジョホールバルとシンガポールで開業、自伝的小説「多くの輝きをもつもの」を刊行した。1955年には、シンガポールで南洋大学(現・南洋理工大学)設立に貢献する。またその年、「多くの輝きをもつもの」がハリウッドで映画化されヒットする。日本でも『慕情』の題で公開された。
The Four Aces - Love is a Many Splendored Thing (film) 慕情(映画)/ ザ・フォー・エイセス (youtube.com)

この曲が1955年のアカデミー賞受賞


その後コンバーと離婚し、インド人の大尉と結婚するが2003年死別、その後はスイスに在住する。

2012年11月2日、スイスローザンヌの自宅で死去。96歳没。