Jim Palmer

 
Nobby Raelian

和訳:

「イエスは、子羊を抱いて、ヒナギクを摘み、子供たちの頭を撫で、幸福な決まり文句を口にするような、きれいに髭を剃ったいい白人ではありませんでした。

イエスは宗教的権威に対して地獄のような戦いを挑み、その生涯は、人々を支配し、統制し、抑圧し、搾取し、辱め、分裂させようとする宗教的、政治的階層と権力に中指を立てるものでありました。神の名の下であれ、シーザーの名の下であれ、イエスはそれを許しませんでした。イエスが口を開くたびに、当時の権力の塔を揺るがす新たな木製ジェンガのブロックが引き抜かれたのです。

イエスの愛は、激しく、粘り強く、勇気があり、不屈で、度胸があり、揺るぎないものでした。イエスは、すべての人間に固有の価値があることを主張しました。人類は神から切り離されているという宗教的な嘘を糾弾したのです。そして、自分の中に天国を見出すよう人々に説きました。イエスは、もう一つの世界が可能であると宣言しました。そして、「神」が世界を救ってくれるのをじっと待っている人々を叱り、目を覚まして自分たちで世界を救えと言いました。そして、自分を宗教化しようとする人々を叱り、誰もが神であり人間であると主張されたのです。

イエスは、世界の希望は、天空の玉座に座っているガンダルフの神ではなく、私たち一人ひとりの心の中に存在する力であると言いました。そのために、イエスは生涯犠牲となり、残酷な処刑を受けました。クリスチャンは「イエスならどうするか」と問うのが好きですが、彼らはその本当の答えを受け入れることはできないと私は思います。

どうぞ。私の客人になってください。イエスがしたようにやってください。

ジム、パーマー、インナー・アナーキー

 

 

select by Rael Maitreya