「努力は報われない」

 

と思い込んでしまった原因は

今でもはっきりと思い出せる。

 

 

私の父は医者だ。

勉強ができる。

 

 

そんな父が、

「自分はこの映画を見て勉強をやろう!と思えたんだ。

だから、お前たちにも見てほしいんだ」

 

 

と言って、まだ小学生の私と弟に見せたのが

 

 

「ペーパーチェイス」

 

 

という映画だった。

 

 

 

 

 

 

簡単に説明すると

アメリカのロースクールに通う学生の青春劇。

 

 

結論から言うと、

小学生の私にはストーリーの意味が分からず

正直つまらなかった。

 

 

でも何より分からなかったのが、結末だ。

 

 

教授に認められるために

必死に勉強した主人公だったが、

最後の最後、その教授には

 

 

名前すら覚えてもらっていなかった

 

 

ということが判明するのだ。

 

 

主人公は、届いた成績通知を紙飛行機にして

空に飛ばす、というラストだったと思う。

 

 

私はこの展開を見て思った。

 

 

「こんなに頑張ったのに、何もいいことないじゃん…」

 

 

父の思惑とは全く逆に、私は勉強というものに対して

強烈な拒否感を持つことになってしまったのだった。

 

 

もちろん、大人になった今、またこの映画を見たら

違う感想を持つのだと思う。

 

 

教授のように人間的な何かを失ってまで

勉強する価値はあるのか?

と、問いかけている映画なのかもしれない。

 

 

しかし、見た当時の私は

日本でのほほんと暮らしてきた小学生である。

ストーリーを深く理解する頭などない。

 

 

かくして

 

 

「勉強=報われない」

 

 

という強烈な潜在意識を

インストールしてしまった私は

 

 

机に向かう度、頭をかきむしって叫んでしまうほど

勉強することを体が拒否してしまうようになった。

 

 

その頃は、「自分はなぜできない?」

自分を責めまくっていた。

 

 

でも今ならわかる。

勉強しようとしてできなくて当然だ。

 

 

 

「勉強したって何も得られない、

むしろ何か辛い結果が待っている」

 

 

 

と、思い込んでしまったわけだから。

 

 

それなのにやろうとする人がいたとしたら

その人はマゾだろう。

 

 

 

高校受験ではかろうじて

得意な英語と作文で何とか希望校に合格した。

 

 

今でも思う。

 

 

もし、あの時あの映画を見せられていなかったら?

 

 

その後の人生でも、勉強や努力することに対して

なんとなくブレーキがかかってしまっていたのは

この映画を見てしまったせいなのではと思っている。

 

 

そもそも、勉強や努力というものは

やらなくてはいけない義務ではない。

 

 

自分が「やりたい」と感じたときに

やればいいものなのだ。

 

 

しかも、自分から湧き出てくる「やりたい」は

基本的に自分が好きなことだったり、興味があることだ。

 

 

やればやるほど、もっとやりたくなる。続けられる。

 

 

気がついたら、積み重なっている。

これが「努力」なのだ。

 

 

この「気がついたら」というのがミソで

やっている最中はそれを努力だとも思っていない。

ただやりたくてやっている、続けているだけだ。

 

 

このことに気がついたのは、職場の後輩から

 

「どうやったらそんなに早くできるようになるんですか?」

「どれくらい練習したんですか?」

 

と聞かれたときだった。

 

 

別に練習なんてしていない。

ただただ、毎日仕事でやってきただけのこと。

仕事も、そこそこ楽しかったから続けられた。

 

 

面倒だと思うこともあったけど

頭をかきむしって叫ぶほど嫌だと感じたことはない。

 

 

いつの間にか、積み重なっているだけ。

他人から見たら「努力」に見えるだけ。

 

 

 

 

やりたくてやっているから、

 

 

「報われない」という感覚も

生まれようがない。

 

 

いつの間にか「努力」として

認知されるには、結局、

 

 

「自分がやりたいことをやらせてあげる」

 

 

ことが大事だということだ。

 

 

ちなみに、父はなぜ「ペーパーチェイス」で

勉強をする気になったのか。

 

 

そもそも、この映画を見たときの年齢が違う。

父が映画を見たのは、高校生のときらしい。

 

 

さらに、父は「マゾ」なのだ。

「悲劇」に浸るのが大好きなのだ。

 

 

自分をさながら映画の主人公に見立てて

「不幸から努力で抜け出したすごい自分」を

実現するために、自らを追い込む。

 

 

その繰り返しで、

医者になって、開業までしたのだから

筋金入りのマゾだと思うw

 

 

父は、私や弟もきっと同じだと思ったはずだ。

(自分と子どもを同一視してしまうのはよくある間違いだ)

 

 

しかし、残念ながら(?)

私も弟もマゾではなかった。

 

 

子どもを持った今、私がこの件から言えることはもうひとつ。

 

 

子どもは思い通りには動かない。

 

 

「こうなってほしい」「ああなってほしい」と

子どもを動かそうとすればするほど、

おそらく子どもはその反対をいこうとする。

 

 

反対へいけずに、親の言うとおりに動き続けると

体や心を壊すのだと思う。

 

 

そんなわけで、

よほど子育てに自信がある人以外は

「余計なことをせず、放っておく」のが

子育ての最適解な気がしている。