今でも忘れられない光景がある。

 

 

それは幼なじみ2人と、

それぞれの母親たちとで

買い物をしていたときのことだった。

 

 

2人はたくさん買い物をした。

そして、買ったものすべてを

自分の母親に持たせていた。

 

 

 

「はい、持って!」

 

 

 

と、自分の母親を

まるで召使いのように扱っている。

 

 

 

 

衝撃だった。

 

 

 

「そんなことしていいの!?」

 

 

 

心の中で思った。

つまりこの時点で私は

 

 

 

「母親に負担をかけてはいけない」

 

 

 

と強く思っていたということだ。

 

 

 

親に負担をかける=親不孝者=ダメ人間

という思い込みだ。

 

 

 

幼なじみ親子たちと別れたあと、

あまりにも衝撃だった私は

 

 

 

「あの2人、荷物持たせてたね」

 

 

 

と、母親に伝えた。

私はそんなひどいことはしない。

暗に伝えたかったのかもしれない。

 

 

 

母親からは同意を得られると思ったが

返ってきたのは意外な返事だった。

 

 

 

「まあ、2人はそういう子だから」

「お母さんたちも分かってるからいいのよ」

 

 

 

またまた衝撃を受けた。

 

 

 

じゃあ、私も頼めば

お母さんに荷物を持ってもらえるの?

 

 

 

その時はそう聞けなかった。

 

 

 

幼なじみ2人とは今でも交流があり

親子全員で旅行に行くこともある。

もちろん、親との関係は良好だ。

良好というか、すごく仲良しだ。

 

 

 

つまり、

親に負担をかける=親不孝者=ダメ人間

この図式は間違いで

 

むしろ

親に頼れる=親と仲良し=親孝行者

という図式が成り立つ。

 

 

 

自分が子どもを持った今、

この出来事を改めて思い返してみると

母親の気持ちが何となく理解できる気がした。

 

 

 

思い返してみれば

自分の子どもが生まれたとき

 

 

 

生まれてきてくれた!

もう他には何もいらない。

バカでもアホでも

楽しく生きていてくれさえすればいい。

 

 

 

と思ったのだった。

 

 

 

そんな大事な子どもに頼まれれば

何でもしてあげたくなるものだ。

 

 

 

「抱っこして!」

「食べさせて!」

 

 

 

という要求に対して、

 

 

 

「やれやれ、しょうがないな」

 

 

 

と言いつつも、

心の底では頼られることが嬉しい。

(ただし、心に余裕がある時に限るw)

 

 

 

私の子どもが私に要求してくるのは、

「自分はこの人に大事にされる存在」

だと信じて疑っていないからだ。

 

 

 

当時の私は、自分が大事にされていると

信じていなかったということだ。

 

 

 

自分は大切にされる存在だと

信じて疑わないのであれば

堂々と親を頼れるはずだ。

 

 

 

親は、自分を信じてくれる子どもを

ますます大事に思うことだろう。

 

 

 

頼んでやってくれるか断られるかは

ただの結果であって

大事なのは頼みたいと思ったときに

実際に頼むかどうかなのだ。