雨が降ったり止んだり・・・![]()
お洗濯物が乾きませ~ん![]()
梅雨に入って、みなさんいかがお過ごしですか![]()
紫陽花がきれいに咲いていますね![]()
雨の日も、眺めていると楽しい気持ちになります![]()
さて、さて、今日は・・・
「生も一度きり、死も一度きり、一度きりの人生だから、一年草のように、独自の花を咲かせよう」
-- 坂村真民(詩人)の言葉より--
一休禅師のところへ、ひとりの老人が尋ねてきました。
「私は今年80で歳になるのですが、いつお迎えがくるのかと思うと、不安でなりません。
できればもう少し長生きがしたいと思うのです。
つきましては、長く生きられるようなご祈祷をしていただけませんでしょうか」
一休さんは、こう言います。
「よかろう。ところで、どのくらい長生きがしたいのだ」
「はい、もう20年ほど生きていられたらと存じます」
と老人が答えます。
「これは欲のない人だ。本当に20年だけでいいのかな?」
一休さんが、あきれたように言うと、老人はびっくりして、
「そ、それではあと40年くらい、長生きできるようにしていただきたい」
と答えます。
「ほう、40年か・・・ますます欲がない人じゃのう」
「では、あと100年ではどうでしょう」
老人が思いきったように言うと、一休さんは、こんなことを教えました。
「ご老人、考えてもみなされ。
あと50年や100年、よけいに生きてみたとして、いったい何になる?
そんな小さなことを望むくらいなら、どうして永遠に生きようという大きな欲を持たぬのじゃ。
仏の教えを学び実践することは、我々が真理に目覚め永遠に生きるためにある。
どうせなら、そんな大きな望みを抱いてはどうだ。もちろん、今からでも決して遅くはないぞ」
老人は、一休の教えに心から感服し、その後は仏の道を学び、心安らかな人生を
生きるようになったということです。
「永遠に生きる」というと、何だかとても大げさなような気がするかも知れませんね。
また、仏の教えの真髄に触れるのもちょっと難しそうな感じがします。
でも、もし私たちが、自分の人生に満足して一生を終えることができるのなら、
それはまさに、「永遠に生きる」ということと同じことなのではないでしょうか。
なぜなら、そんなふうに毎日が充実していれば、とても密度の濃い人生を送ることになり、
もはや人生の長さなどは気にならなくなるでしょうから。
こちらの方が、実感しやすいようですね。
たとえば、かつてブッダが弟子たちにこんなことを問うたことがあります。
「人生の長さは、どのくらいあると思うかな?」
当時は、50年も生きれば長生きだとされていたような時代ですから、誰かが、
「50年」とまず答えました。
ブッダは、微笑んで、言いました。
「違うな」
すると弟子たちは、口々に答えます。
「40年」
「30年」
そのたびに、ブッダは、首を振り続けます。
「それではいったい、どのくらいなのです?」
しびれを切らした弟子のひとりが、たまらずそう聞き返しました。
ブッダは、こう答えました。
「人の命は、一呼吸する間しかないのだ」
そう・・・
過去や未来に、心をとらわれることなく、ただ「今」自分のまわりのすばらしい景色を感じ、
自分が楽しいと思うことをやってみる。
そのときそのときを楽しみ、「今」を生きていれば、そんな充実した瞬間の積み重ねが、
充実した人生を創りあげるのですよね。
自分自身でいて、「今」を楽しむということが、いちばん大切なのですね。
それが、自分という、他のどんなものとも比べることができない、
すばらしい花を咲かせることになるのでしょう。
まずは、自分がワクワクすることをはじめるということから、やってみましょうか~![]()
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「今日一日 明るく朗らかにしようと想う」
「今日一日 謙虚にしようと想う」
「今日一日 素直になろうと想う」
「今日一日 感謝しようと想う」
ヾ(*'-'*)ヾ(*^o^*)ヾ(*'-'*)
ありがとう♪ありがとう♪ありがとう♪