本当に大切なものってなんだろう。
それは家族や友人、なにより自分。
自分がいなくちゃ悲しいと思うことも嬉しいと思うことも暖かいと感じることもできない。
でも、自分を可愛がってあげられているか考えるのが常日頃。
そういう人だったらどんなにか楽だろう。
みんな他人との繋がりを持って自分を支えているからね。
自分の位置を知るのも友人知人を目安にする。
だから自分を形成する周りの人達も大切なもの。
高い所にいたいと思う、幸せな人間という位置にいきたいと思う気持ちがある種の欲なのだろうと思う。
そのために誰かを支えにしたり、頼ったり、あるいは踏み台にしたりもできるのが人間。
二人の人がいて、お互いのバランスが上手くいっている時は「支え合っている」と言っていた。
バランスがくずれたら二人とも自分を良い位置に保とうとして、「一人」になった。
大切なものはゆとりだと言う人もいる。
でもそれだけだとただ利用されるだけの人間になりかねない。
そういう例を見たことがある人は少なくともそうならないようにと思うようになり、
利用する側になろうとする。
そう考えるとゆとりなんていらないのでは
とも思う。
一人の人がいて、とても悲しい思いをした時に「私だけ」辛い思いをしていると思った。
悲しい思いをする前は「幸せ」だと思っていた。
世界には60億人という人がいて、みんな同じような経験をするかといったらそうではない。
ある人が「世界中の人達と友達になりたい」と言った。
だが悲しい事に一人の人が1秒に一人の他人と出会ったとして
全員に出会うのには190年の年月を必要とする。
一人の人が生まれて3秒で死んだ。
一人の人は生まれて100年生きた。
一人の人は生まれて18年で殺された。
一人の人は生まれて22年経って、「大切なものはすぐなくなる」と思った。
本当に大切なものはなんなのか。
自分はそれを持っているのか。
果たしてこれから理想通りに物事が進むのか。
恋人は自分を常に欲しているのか。
私は誰かに愛されているのか![]()
必要とされない人間はある所では消されてしまうものかも知れない。
だがある所で必要とされなくなった人間は必要とされるべく動く事ができる。
長い人生です。
私たちは動くことができる人間です。
大切なものがなんだったのかはわかりません。
見つけたとしてもそれがいつまで大切なのかもわかりません。
誰だってそうです。
悲しい事が起きても、誰も悪くなくて自分が不運だったんじゃなくて、
それが「自分は人間」だという証拠なのです。
愛されたいと思うなら愛する人を見つければいいでしょう。
時間はかかるのかも知れません。
愛されているのかも知れません。
愛すべき人が今はいないかも知れません。
想いが伝わらないかも知れません。
でも、なにもいらないんです。
なにも必要ないんです。
生きていれば![]()
「今日一日 明るく朗らかにしようと想う」
「今日一日 謙虚にしようと想う」
「今日一日 素直になろうと想う」
「今日一日 感謝しようと想う」
ヾ(*'-'*)ヾ(*^o^*)ヾ(*'-'*)
ありがとう♪ありがとう♪ありがとう♪