生まれてから今日という日まで、「 ありがとう 」という言葉を知らずに、
あるいは一度も使ったことがないままに成長したという人はまずいない、
と言っても過言ではないでしょう![]()
自分にとって何かうれしいこと、都合の良いこと、得をするようなことがあるときには、
特別に意識しなくても、「ありがとう」とか「サンキュ-」という言葉が口を衝いて出てきます。
それは、人間としてのごく自然な感情の発露ですし、とても心豊かな素晴らしいことではあります。
しかし、ここでちょっと考えておきたいことがあります。
それは、もしそのような時や状況、事柄だけをうれしいといって喜ぶとしたら、
自分の物質欲や自尊心などの欲望が満たされたときだけを喜びとし、
感謝するといういささかおかしなことになる、ということです。
私たちの家庭や職場など日常生活では、実にさまざまなことが次々に起きてきます。
自分にとってうれしいこと、都合の良いこと、得をすることばかりではなく、
その反対のこともいくらでも起きてきます。それらをいわば材料にして、
どのような 家庭生活、社会生活を具体的に営んでいくのかというのが、
私たち一人ひとりの 実際の人生というものなのです。
つまり、善いことも悪いことも含め、自分の目の前に起こってきたことのすべては、
実際の人生を生きていく喜びや生きがいを見いだし、さらに進歩向上していく元と言えるのです。
PLで「人生は芸術である」「人の一生は自己表現である」としているゆえんです。
ですから、善いこと、うれしいことはもちろんのこと、たとえいわゆる不幸・災難ということに
当面することがあったとしても、それらのすべてが、実は芸術つまり自己表現の素材であり、
自分にとっての生きる喜びの元であることを思えば、この世の中に生かされて生きているということ
自体が、まことにありがたく感謝に値することであることが分かります。
自分が今日このようにしているのは、自分だけの力によるものでは決してないはずです。
各人の先祖や両親の徳、夫や妻をはじめとする家族の愛情と働きの恩恵を受け、
恩師、先輩、友人、上司、同僚、部下その他社会全般のいろいろな人々の誠をいただいていることを
思えば、感謝の心はおのずからわいてくるに違いありません。
物質欲や自尊心が強いと、感謝の心は薄くなります。
感謝の心が薄ければ人の進歩向上は止まり、生きている喜びも十分には味わえません。
人や物に対する感謝の気持ちをいつも忘れずに、毎日を暮らしたいものですね![]()
ありがとう!というと・・・
海を泳ぐ魚になれた気がする。
ありがとう!というと・・・
空を飛ぶ鳥になれた気がする。
ありがとう!