「類は友を呼ぶ」、「類は類をもって集まる」といいますが、どうもこれは本当のようです。
かつての私は今とはずいぶん違った人間でした。
何と申しますか、驕ってもいましたし、自意識過剰でしたし、自己中心的でした。
その頃、ちょうど自分と同じタイプの人に魅力を感じ、そういう人たちと交友を持ったものです。
ところがある時期から「これではいけない」と思って心を入れ替える努力を始め、心のとらわれを捨てるようにしていきました。
すると当然ながら自己中心性が薄まり、自意識過剰さも弱まり、驕りも次第になくなってきて、以前と比べれば少しばかり素直で素朴な人間になってきたかと思います。
そうなりますと今度は、素直で素朴で誠実で、飾り気がなく温かな人に親しみを感じ、そういう人に近づくようになりました。
かつて交わっていた人たちには、今ではいささか嫌悪感すら抱いてしまいます。
心のとらわれが軽くなれば人を見る目も磨かれていくようで、人の心をより敏感に感じ取れるようになり、なおさら素直な人を選んで付き合うようになりました。
「人を知りたければその人の友人を見よ」といいますが、自分の体験からもその通りだと思います。
「いい人」に見えた人が、良くない人と結婚していることが解り、その後じっくり観察したら実は「いい人」を装っているだけのエゴイストだった、という例もあります。
このように、自分の心がどうであるかにより、交友も変わってくるわけですが、どうもそれだけではないようなのです。
こちらが自分とウマの合う人を選ぶならば、相手もそうであるわけで、こちらと似たタイプの人が近寄ってきます。
しかしそれだけではなく、「泣きっ面に蜂」、「笑う門には福来たる」というように、不思議なことにこちらの心次第で、「たまたま出会う人」までが変わってくるようなのです。
こちらが暗い心でいますと、どうもあまり良くない業者が近づいて来たり、良くない人が取引の担当者になってしまったり、ということがあるようなのです。
逆にこちらの心が明るく、とらわれが軽いと、どういうわけか、出会う人がどれも良い人たちになったりします。困っている時に助けてくれる人が現れたりします。
皆さんも是非試してみて下さい。
そして、その結果をお聞きしたいところです。
また、出会いだけでなく、運・不運も違ってくるようで、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんも
「人間は笑うのが一番。貧乏神も疫病神も、暗い顔をしている人を好む」
といったことをおっしゃっていましたが、どうもその通りのようで、とらわれの軽い心を持っていれば、何者かに強く守られ導かれているように感じます。
ある宗教家は、こういったことを「自力の極みに他力あり」という言葉で表しています。
「とらわれのない心を作る」という自力作業をすれば、後は他力で守っても導いてももらえるということのようです。
ある霊能者の話では、心も「波動」を持っており、「波長が合う、合わない」ということがあるのだそうです。
その波長に導かれるかのように、よく似た波長の者同士が出会うことになるそうで、仏教で「縁」と呼ぶものを霊能者が見るとそんなふうに見えるのかな、などと思いました。
とにかく、「類は類をもって集まる」ということは言えるように思いますので、自分の周囲に良くない人が大勢いる場合は、「自分がこのメンバーに加わったのは自分にもこの人たちと似たような面があるからかもしれない」と思って少し振り返って自分の心をチェックしてみると良いかもしれません。
周囲の人を鏡として、そこに映し出される自分の姿を見るということです。
今は「良くない人」が大勢いますから、自分の心に問題がなくても良くない人たちと出会ってしまうでしょうが、それでも少数ながら良い人たちはまだまだいます。
そういう良い人たちと出会いたければ、やはり自分の心を磨く、とらわれを軽くしていく努力をすることが肝要かと思います。
次々と良い人たちに出会う、というのは不思議でもあり、当然ながら嬉しいこと、有り難いことですから、そういう体験を味わっていただきたいと思っております。