物心ついた時には誰とも話したくなかったし誰にも会いたくなかった
同時におとなしくして孤立しているとみんなに袋叩きにされるという恐怖心もあった
だから毎日思い切り無理をして元気なフリをしていた
自分が自閉症だとわかったのは今年の7月
できればもう少し早く誰か教えてよって話w
せめて50年ほど前に
幼少期小児喘息も患っていた
喘鳴症状にまでひどくなることもよくあった
おそらく赤ん坊の時から
(当然「喘息」という病名だと知る由もなかった)
とてつもなく激痛の日々
咳をするたび喉の中を紙ヤスリで削らるような痛み
何度か泣きながら「息が苦しくて眠れない」と言うも
ソファに寝転がりながらテレビを見ている母「飴なめれば治る!早く寝なさい!」
そりゃ寝たい
寝たいけど苦しくて眠れないと言っているのに…
飴をなめたくらいでは当然治らず
仕方なく布団にもどり泣きながら耐えるしかなかった
父にも心配されることもなく病院に連れて行かれることは一度もなかった
結局約12年間1人で激痛に耐えた
さらに時々
「お前寝てる時もゼーゼーゲホゲホ気持ち悪い咳うるさい!」
それは「オマエノソザイジタイガキショクワルイ」と言われているようにしか聞こえなかった
というかそれを私に言ってどうしろというのか
寝ている時の喘息を5、6歳の子供になんとかしろと言われてもね。。。
気持ち悪いキショクワルイと思うなら病院に連れて行けばいい
でも私なんかのためにお金を使うならパチンコに使いたいという両親だったようだ
その話もまた後程
とはいえ子供だった私は「体が弱い自分が悪い」と思っていたので
「ごめんなさい」と謝るしかなかった
両親も2歳上の兄も健康そのもの
私だけが喘息に加え毎年2、3度風邪をひいて熱を出して寝込む
父も母も家で私に話しかけることはほとんどなかったし
私が話しかけてもほとんど無視無反応
でも兄とは楽しそうに話していた
兄も私が熱を出して寝ていると枕元に来て
寝ている私に顔を近づけて
「お前また風邪ひいたのか?バーーーーーーーーーーーカ‼‼」
と言いながらジュースをガブガブ飲み
「お前は飲むんじゃねーぞ!一口でも飲んだらパパに言いつけるからなバーーーーカ」
私の居場所はこの世のどこにもなかったし
この世に一人たりとも味方はいなかった
6、7歳で既に死にたかった
生きるのは苦痛のみ
実はみんなも生きるのは苦痛で
自分と同じように死にたいのでは?
でも死ぬのが怖いから
仕方なく楽しそうなフリをして生きてるだけでは?
と思うこともあった
とにかく希死念慮の塊という子供であった
というか正直に言うと人生のほとんどを希死念慮に憑りつかれていた
TPSという会社に入社したのはその脳みそを変えるため
希死念慮を脳みそから振り払いたいため
いわば荒療治的に営業の仕事に就いたが
それについてはまた別の機会に
(当然借金を返す目的もあったがそれ以上に脳みそを変える、そのために死ぬほど怖い営業を選んだ)
ADHDに関してはここ10年程そうではないかと自分でも思うことがあったが
今年7月精神科医に「生まれた時から自閉症可能性とADHDですね」と言われ納得
そして「重篤な鬱病」との診断
でしょうねw
おそらく子供の頃から鬱病だったと思う
今後は
両親のパチンコ狂いの話
両親がパチンコの金欲しさに大学当時から約40年間私に死亡保険をかけていた話
両親パチンコの金欲しさに私を本当に殺そうとした話
なぜ両親は私にも兄にも親戚にも世間にも真樹子にも青空にもパチンコのことを徹底的に隠したかったのか
なぜ私が借金をしてまでパチンコにはまってしまったのか
なぜ青空は睡眠障害(おそらく)になってしまったのか
なぜ当時2歳の青空もいるのに引きこもってしまったのか
など記していきたいと思っています
それと
青空、本当にいろいろゴメン
一生会えないだろうけど
本当にごめんなさい
正直いろいろあって真樹子に謝る気にはなれない
けど青空には心の奥底から謝るしかありません