大変長らくお待たせしました!
本日は、トラスト・ユナイテッドFCの小川裕史コーチへのインタビューです!
いつも子どもたちに笑顔で温かく接してくださる小川コーチ。
いつも穏やかで、冷静、且つ的確な指導で、子どもたちを伸ばしてくださり、昨年の6年生は、全日本少年サッカー第七ブロック予選で準優勝し、東京都大会にも連れ行っていただきました。
みんなが大好きで安心して信頼できる小川コーチ。
そのご経歴、指導のお考えなど、ゆっくり伺ったことのない保護者や選手も多いのではないでしょうか。
ぜひインタビューご覧になってください!
お話は、6年生と中1の保護者3名で伺ってきました。
うん、うんとうなずくことばかりでした。
テープ起こしをしてくださった保護者の方もありがとうございました!
ずいぶん前にお話を伺ったのに、載せるのが遅くなり、大変お待たせして、申し訳ありませんでした。
(尚、のぶコーチのインタビューも近々掲載できる予定です。申し訳ありませんが、もう少々お待ちください!メチャ面白いので、乞うご期待です!)
−いつからサッカーを始められましたか?
幼稚園です。はい。幼稚園に教えに来てくれるサッカー教室みたいな感じで、多分週1くらいでやってたと思うんですけど、楽しくやりはじめまして。兄がやっていたのもあるんですけど。それですんなり入ってきたというか。
−それからサッカーずっとやってたんですか?
小学校入学した後1年間くらいやってないんですけど、その後兄が入っていたチームに入って、そのままずっとやっています。
−それは地元の少年団みたいな?
そうですね。地元の。前に練習試合行ったと思うんですけど、山奥の(笑)、
あそこで。町田市の小山田っていうところなんですけど。
−他のスポーツは掛け持ちとか目移りとか?ずっとサッカー一筋で?
そうですね。友だちと野球、ちょっとキャッチボールしたりとか、それくらいですかね。習ってやるとか、どっか行ってやるっていうことはなかったです。
−それで中学は?
中学校は、普通に中学校の部活でやりました。
−セレクションとか受けたりとかは?
その時そういう考えはなかったですね。
−時代としては、周りは、クラブチームは?
行ってる人はいましたね。ですけど、あんまり自分はそういう考えはなかったです。
−プロになろうとかそういう考えは?
その時は、そんなに多分深く考えてなくて、なんとなく楽しんでやってたくらいで。
−でも、プロになられたんですよね。
そうですね。セミプロというか、サッカーと仕事と両方でお金をもらっているみたいな。
−長野パルセイロですね。
そうです。長野パルセイロです。
−中学から高校に行かれる時は?
セレクションの案内が来てて、それを受けて。後から聞いたら、野球部だった人とかがいて、なんか誰でも入れて、とりあえず人数集めるみたいな感じだったと思うんですけど(笑)。入り口はそうだったんですけど、結構古豪で、堀越っていう、昔強かったところで。入った時はそういう感じで僕は知らなかったですけど。入ったら、 後に繋がっていけたので、チャンスはあったかなと。
−それで高校の時は、トーナメントとか。
目立った結果は残してないですね。東京都で3位4位とか、それは一個上の代で、僕の代はその手前で負けちゃったりして。
−上の代でも結構出られて?
上の代では、出たり出なかったりですね。
−それでその後はどうされたんですか?
そこで、プロにちょっと行きたくて、練習に参加したりとかしたんですけど、やっぱりだめで、大学に進みました。
−その前に、小中高でどこのポジションで、どんなプレーヤーだったのですか?
小学校の時は、中盤とか攻めの、結構中心的な役割を任されていたのですが、中学くらいから守りの方にだんだんちょっとポジション落ちてきて、高校は完全にディフェンスって感じで。そこからはもう守りです。
−その後、大学に進まれて?それはサッカーで?
そうですね。スポーツAOみたいな感じで。尚美学園大学という埼玉の川越にある大学で、その時は関東二部だったんですけど、今はもう埼玉県一部で。なかなか上がれない。そこまで強いわけではないです。そこで4年間やっていました。
−プロになりたいなと思われたのは高校の時ですか?
中3くらいから漠然とはサッカーでやっていきたいな、みたいなことは考えていたんですけど、あまり具体的には全然考えていなくて。
−子供の頃にサッカー選手になりたいって言ってる子ってたくさんいるけれど、中三くらいになってからプロになりたいと思われたということは、なれるかなという自信があったということですか?
自信はなかったですね。周りのクラブチームに行っているやつがすごいな、と意識があったので、別に自分が行けそうだとは思ってなかったんですけど、なんとなく・・・。
−大学が終わってセレクションとか?
大学が終わって、いろいろ受けたり練習に参加したりしたんですけど、行きたいところというか、いいところは行けなくて、その群馬のアルテ高崎っていう、床井(監督)と一緒のチームに入ったんですけど。
−その時に床井監督と出会われたんですか?
そうですね。その時に。僕は3年間そこで、床井コーチは1年間そこでプレーしてたんですけど。
−そのあと長野に?
そうです。
−長野でお怪我をされたんですよね?
そうです、怪我はちょくちょく多かったんですけど、決定的なのは、足の裏にまめができて、それが二重三重にできちゃったんですよ。冬で雪が降っちゃって、グラウンドで練習ができないので、体育館の下が硬いところで練習をしていたんですけど、それで足の裏にまめができちゃって、そこから多分細菌が入ってしまい、蜂窩織炎っていう、足がパンパンに腫れちゃったんですよ。細菌が軟骨を溶かしてしまい、スムーズにいったものがなくなるから、がんがんあたって痛くてもうできなくなっちゃったんですね。微妙にはできるんですけど、その年は完全復帰できなくて、でもまだやりたくて、次は千葉のブリオベッカ浦安っていうところに移籍したんですけど、そこでも半年くらいはやっぱりできなくて、復帰してからも痛くて全然できなくて、もうダメかなと思って辞めました。
−まだお若かったし、おやりになりたかったですよね。
そうですね。まだまだ足が良ければ、まだまだやりたかったですね。
−日本はプロでも環境が体育館とか土とか?
今は改善されてきてるかもしれないんですけど、自分にいた時は、その時はJFLで今は、J3になったんですけど、環境はそこまで良くはなかったですね。高崎よりは良かったですけど。どうしても雪はどうしようもないんで・・・。
− それで、そのあとトラストに来てくださったのですか?
そのあと、一年間最後にやってた浦安チームのスポンサーの会社で会社員として働いて、半年くらい経ったくらいから、ちょっと違うなあと思い出して、辛いなあと思い始めまして。
−どんな仕事を?
配送です。貸し出すんですけど、いろいろ、布団とか家具とかを配送する仕事で。もうちょっと他に自分が貢献できるものがあるな、と思って。誰でもできるし、配送とか。経験を生かして、自分も楽しいし、ちょっとできることあるかなと思って。夏くらいからちょっと床井(監督)に相談して、手伝いにちょくちょく(トラストに)何回か来たんですよ。それで、その次の年度から。もう丸三年ちょっとになります。
−トラストに入られて、どういうサッカーを子供たちに教えていきたいというお考えをお持ちですか?
ま、今思うのは、子供が楽しんで、自主的に主体的にできるように、教えるというよりもサポートしていくという感じが一番いいのかなと。
自分も小学校の時に、結構熱いコーチだったんですけど、走らされたりとか、試合に負けた後、山を走らされたりとか結構あったので、それがだめだったというわけではないですけど、あまりいい思い出としては残っていなくて、辛かったなあ、みたいな気持ちがあるので、やはりサッカーをもっと楽しんで。そうですね、やらされてた感がちょっとあったかなと、自分は思うので、自分たちで考えて、主体的に自分たちでできたら、サッカーだめでも他にもつながっていくんじゃないかと。
−そういうことを教える難しさとかありますか?コーチとしては、ああしなさい、こうしなさいという方がコーチとしては楽かなと思うのですけど。そのように教えてくださっているので、トラストの保護者はありがたいと思っているし、それこそがこれからのサッカーというか、最先端のサッカーだと思うのですけど、でも、現状として、こうしろああしろと厳しく言ったり、練習試合でもポジション固定にしたりする方が勝ちやすいというのはあると思うので。
眼先の勝ちを目指すのであれば、それが一番いいと思うんですけど、今勝っても別に、そんなに。。。むしろ負けて悔しい思いとか、ぎりぎりで負けたりとか、そっちの方がちょっとつながっていくんじゃないかと。勿論、勝って自信をつけるのもいいと思うのですけど、眼先の勝ちにとらわれ過ぎないように、ちょっと意識してはいます。
−すごくいいと思います。ぎりぎりで負けるというのは、やはり勉強になりますか?
そうですね。やっぱりすごく悔しいし、また頑張ろうと思うし。効果はすごくあると思います。全然楽々勝っちゃうよりも、全然いいと思います。負けた方が、はい。
−そういう積み重ねで都大会に行けた!最後は負けちゃったんだけど、追い上げて、いい試合でしたよね。小川コーチのお考えが浸透していたと思います。
そうですね。すごくいい試合でしたよね。
−都大会はどういう試合でしたか?あまり指示は出していらっしゃらないと思うんですけど、コーチサイドとしてはどうやっていらしたのですか?
基本的には変わらないですけど、当日みんな緊張しているのか、おとなしかったですよね。普段は騒いでいるんですけど、きょとんとスタンドに座って、静かに試合を見ていて、いつもと雰囲気違うなって。でも、いつも通りできるようにやれればいいなと思って。そういう振る舞いっていうのは意識しました。
−あんな綺麗なグランドはなかなかないので、緊張したのかなと。
スタンドがあるようなグランドはなかなかないですもんね。
−あの後半追い上げたっていうのはどう思われましたか?
いやあ、あれは、本当に子供たちの頑張りでしたよね。後半はチャンスもこっちにたくさんあったんだけど、前半得点できなくて先行されてた試合でしたけど。
−後半すごく追い上げて、いけるかなと思いましたよね。
成長を感じましたね。例えば、Kとかが、ドリブルで仕掛けていったりとか、前では全然考えられないような。そういった成長も見れた。相手も強かったですし、そういう相手にそうやって積極的に精一杯自分の力を出してプレーできていたんで、すごく成長を感じられたゲームでしたね。
−他の選手はどうでしたか?
Nはいつも勢いでプレーしちゃうんですけど、ちょっと落ち着いてちょっと考えてプレーしていたりとか、Sとかもそうですよね。ガンガン自分で行っちゃうんですけど、ちょっとパスを選択できるようになったりとか、ちょっと周りを見れるようになったりとか。
試合の中でも成長が見られると思うんですよね。そういうのはうれしいですよね。
−試合の中で何かアドバイスとかあったのでしょうか?
特別なことは言ってないと思います。いつも通りで。自分もそうだったんですけど、コーチがすごくガーガー言っても、基本的には聞いていないんですよ、選手たちは(笑)。自分も全然、何言ってたっけな?みたいでしたから。だから、あまりしゃべりすぎないで。簡潔に話した方がいいかなあと思っています、はい。
−勝ちとか育成とかの話になりますけど、都大会に行くまでの試合とか公式戦とかカイザー杯(区大会)チーム編成とかは、どの選手をどれだけ出すとか、レギュラーを出すとか試行錯誤はありますか?
まず、カイザー杯は、その学年の子が主体になってやれればいいなと思っていて、公式戦はちょっとやっぱり出場時間とかはバラツキが出ちゃうんですけど、なるべくみんなに経験してもらいたくて。なるべくちょっとでもピッチに立てるように、とは考えているのですが、それができなくて申し訳ないなと思うところもありました。かわいそうだと思ったりもしました。
−そのあたり、気を遣って下さっていることは親から見ても分かりました。
完全に勝負を捨てる姿勢を、こっちは見せてはいけないと思うので、正直勝ち負けはどうでもいいんですけど、でも、そういう姿勢は見せない。勝ちはしっかり目指してもらってやってもらいたいんで。だから、公式戦はある程度力とか頑張りで選んであげて、でも、比較的力がなくても頑張っている子もいるし、そういう子にはなるべくチャンスをあげるようにしたいし。そこのバランスが毎回難しいと思っているところで。
−カイザー杯のAチームBチームっていうのは、いわゆる1軍、2軍で分けているわけではなくて?
ちょっとその時によって違ったりもするんですけど、ABで分ける時もあります。例えば比較的力がない子が力がある子とやっても、力がある子がずっとボールを触ったりとか、やっぱりその子に任せちゃうじゃないですか。それだと、比較的力のない子が何のためにもならないというか。ある程度同じ力の子たちが集まってやれば、その子でも、自分の意識が出てくるというか、自分がやらなきゃならない状況になるんで。そっちの方がやっぱり、結果とかじゃなくって、意味があるっていうか。
−今の中1が4年生の時は、全く均等分けみたいな感じで。
あの時は試行錯誤の段階だったんですけど、まあ、今でもそうですけど。あの時は、トラスト・ユナイテッドFCは区ではダントツに強かったので、まとめちゃうとAがダントツ優勝することになってしまうと思ったんで、ある程度分けて両方いい勝負できるようにしようと、均等に分けてやったんですけど。今となっては、比較的力のない子がある子とやってどうだったのかな、というのはあるんですけど。そうですね、試行錯誤ですね。
− 優勝したチームの中でEくんがすごく頑張って貢献したりとか、全員全力ですごく頑張ったので、そこはあのカイザー杯はいい思い出だったなっていうのがあります。それはそれですごく良い経験だったと思います。
あの代の子たちも、そんなにできない子にガーガー言うような子がいるわけでもなかったので、そういうのも良かったですよね。
−まだまだお聞きしたいことは山ほどあるのですが、第一弾はこれで。