丼(どんぶり)? 一汁三菜? | ~浅草『とらんくすや。』の浅草徒然日記~

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何卒、ご了解の程お願い申し上げます

丼(どんぶり)? 一汁三菜?


日本の料理 日本の食事は、

一汁三菜を基本とするご飯を中心とした料理です

また、本式には、盛り付けも決まっています

ご存知ですか?



ご飯は左、味噌汁は右  

日本古来から、左が上位の文化です

尾頭付きの魚は頭を左、腹を手前

魚の切り身の盛り付け、皮表

長いものは、長方形の皿に

大根おろし、刻みねぎ、付け合せは、

手前に置く(前盛り)



難しいですね

これを、覆(くつがえ)したのが

そうです 今流行りの 丼でございます



(どんぶり)

この漢字? どの様な意味からなのでしょうか?



井戸の中に物を投げ入れた時の音と言います

「ど~んぶり~」

とでも聞こえたのでしょうかね~ 



丼勘定(どんぶりかんじょう)

最初は鳶職や大工の人が腹巻の袋の中から

銭を鷲掴みにして、酒代などを支払った事から

出た言葉だそうです



いずれにしても、

ごちゃ混ぜという感じでしょうか

一汁三菜の基本を無視したものです



この(どんぶり)は、

次のような事から始まったとされます



鰻丼がきっかけだったのです



江戸時代・・・

水戸藩の侍大久保今助が

水戸方面へ向かっていました

茶店で鰻の蒲焼で飯を食べ始めました

ところが、渡し舟が出るというのです

今助は、あわてました

蒲焼を飯の上に乗せて皿をふた代わりにして

渡し舟に飛び乗りました

そして、渡し舟が対岸に着きました

船を降りた今助は蒲焼を食べようとしましたら

蒲焼は飯の蒸気と熱でよい香りになり、

味も今まで食べたどの鰻の蒲焼よりも

一番美味しい味だったのです

鰻丼が生まれたのです



江戸時代には、次のものも生まれています



天丼⇒ 浅草の「三定」が始まりだと言われます

深川丼(ふかがわどん)

⇒江戸深川の漁師が食べたのが由来です

隅田川の河口では貝がよく取れたのだそうです

(深川丼とは、ご飯の上に、アサリ、ハマグリ、

アオヤギ、ネギなどの野菜などを

煮込んだ味噌汁をかけた丼)



明治に入り



親子丼

明治20年頃、日本橋人形町の

軍鶏料理専門店 玉ひで が元祖とされます

牛丼

牛鍋を丼飯にかけた料理が原型で 

牛飯と言っていたのですが

吉野家創業した松田栄吉が

牛丼と名付けたのが始まりです



う~ん 

日本料理の一汁三菜、

丼のご飯に沁み込んだ 垂れの味、

どちらも捨てがたいですね



昼ご飯は、丼

夜ご飯は、一汁三菜

で、折り合いをつけますか

どちらも食したい 

とらんくすや。親父でございます