coffee bar "grave" -20ページ目
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歌謡曲。

昔の歌謡曲に比べて最近の歌謡曲(つまりはJ-POP)の大半は歌詞が長い気がする。 多分伝えたいことが増えたのではなく、言葉を凝縮する技術がなくなったのだろう。


昔の歌謡曲に比べて最近の歌謡曲(つまりはJ-POP)の大半はテンポが早い気がする。 多分舌が回るようになったのではなく、しっとり聞かせるような曲だと歌唱力不足が露呈するのだろう。もしくは人間的に活発になったというか、破壊的になったんだろう。



なーんて、偏見っぽいね(←自分で考えたんだけど)。



NHKの特番を見ていて

 サイボーグなんて夢・・・・といっていたのはもう昔のことらしい。世の中コンピュータ1台で猿の脳味噌にアクセスして思い通りに行動させることが出来るらしいです。命令信号と快楽信号を併用した、まさに「飴と鞭」の原理らしいです。 映像見ましたが、もはやラジコンです。


 

 猿で技術が確立されたということは人間で確立されたのとほぼ同様。ということは、最先端技術の祭典、戦争で活用される日はそう遠いことではないのでしょうね。マンガで悪者が「こいつらには恐怖心も何もない。」みたいなことをよく言ってますけど、意外としゃれにならないですよ。



 人間の定義は変わるだろう。

今、科学を操る技術以上に「科学を操る技術」を操る技術が必要とされているだろう。

ふと思ったこと

電車の優先席は体が不自由だったりする方のための席で、頭の不自由な若者のための席ではないと思う。

明日を迎えるために感傷的?

 父親が今日親友の息子さんの葬式に行ってきたらしい。実は僕はまだ葬式というものに真面目に参加したことはないのだが(というのも、多少遠い間柄の方の葬式には参加させていただいたことがある)、人の死というのは何度聞いても壮絶だと思う。




 ちょっと考えたんだけど。もし自分が人の死というものについてじっくりと考え、それに対するスタンスを確定していれば悲しみは和らぐのだろうか?全てに与えられた当然の結末として、少しは肯定的に逝っていく人々を送ることが出来るのだろうか?もしくは・・・・?


 当然人の死なんて経験したことのない僕だから、まったくわからないというのが正直なところ。でも自分を押しつぶしてしまいそうな悲しみと、自分を破裂させてしまいそうなやり場のない怒りを抱え込み、取り乱したくはないと思う。出来るだけ、静かに、穏やかに人の死を送りたいと思うのです。




 出来ることは、今のうちにやっておこうと思うんだ。

最近の苦しき読書生活

最近本を読んでいるのです。分厚くて飛びきり濃いやつを。


1回目はひたすら字面をおってるだけ。まるで英語の長文読解に出てくる下線部(1)を訳してる感じ。

2回目は内容を少しずつ頭に入れていってみる。文章を只の文字から内容を持つ伝達媒介へと昇華させる。

3回目は内容を自分の中に取り込もうと頑張ってみる。字面の経験から、自分の中に当てはめた経験へ。

4回目以降にやっと自分の中に今まであったものと比較してみたりという、実質的な読解へ。


 

そんなわけで、未だに第一章にもたどり着けない僕(「序論」が濃いんだ、これが)。

いつになったら読み終われるのでしょうか・・・・。


だれか、脳味噌並列運転に協力してくれませんか?

昨日の続き。

遺伝子組み換えジャガイモと普通のジャガイモを交配したジャガイモって、普通のジャガイモなのかなぁ。なのだとすれば、消費者としては非常に不安なところ。  「じゃがいも(遺伝子組み換えでない)」 はもはや安心材料じゃなくなっちゃうわけだからなぁ。 毎日何食わされてるのかわかったもんじゃない。


実際のところどうなのか知ってる人がいたら教えてください。

某ハンバーガー店CMより。

「ファストフードは  ・・・・   スローに作られています。」



ふーん。



フィードロットで牛肉大量生産して、



遺伝子組み換えすれすれのじゃがいも(育つのが速い)育てて、



スロー、ね。



へー。

変わったのは日記?俺?

 うちの部活のホームページは部員のブログがいっぱいある。

日課のように僕はそれをほぼ毎日読んでいるのですが、

最近、以前よりも詩が増えたように思う(特に現役部員)。


珠に素敵なものもあるけれど、あまりいただけないモノが多い。


考えているようで、実はただの言葉遊び。

悩んでいるようで、実は自己陶酔結晶体。

悟ったように見せかけて、実は理論のループへの滑り台。

まぁひとによって色々。


部活のように作者が割れている集団で書いた作品は、

内容というより作者自身にその意味が依存していることが多い。

言い換えるならば、普遍性の薄い仲間内だけの文章。


それを悪いという気はないけれど、

あんな文で“詩”を書いたつもりになって欲しくないと思う。

あんな内容で哲学的だ、なんて誤解をしてほしくないと思う。


僕は詩も哲学も勉強したわけじゃないけど、

多分あれは違う。



まぁなんやかんやで、

部活の人々の日記は最近あまり楽しめないのです。

楽しめないのは、俺のせいなのかなぁ・・・?

開店の辞

やはり思ったことを口に出さないのはストレスがたまる。

自分の内側で生成された何かが外へ出ていくことは面白い。



・・・というか、他への主張がない自分は存在が危うい、というのが本音。



かといって、前のように完全に公開された空間は僕には重過ぎる。

それに、自分の外側に膜が張ってしまってうっとおしい。



だから、場末の喫茶店みたいにひっそり運営していくことにしました。

タイトルは前から考えていた

               caffee bar "grave"

筆者は苦めのコーヒーいっぱい片手に静かに重々しいことを考えながら。



皆様にとってこの喫茶店が日常から少し離れた、独りになれる場となることを祈って。

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