こんな写真も見つかりました。第2時世界大戦直後の日本では食糧難や住むところも無く大変な世の中でした。現在のウクライナよりも大変だったと思います。この写真は小学校に入学した当時の写真で帽子、セーター、ズボン、カバン、足袋などすべてお袋が双子の我々にすべて手作りしてくれた物です。当時は帽子に付ける記章などは無かったので金ボタンを代わりに付けてあります。履いている下駄は購入したようですが、足袋は二人分を作ってくれました。このころになると自分がどっちだか見わけが付きます。栄養が不十分だったためでしょうか、私の角膜が濁り始めていました。目がいつも痛かったので頭が傾いています。そうなんです、私は左側ですね。当時のお袋はかなり痩せていて皮膚は吹き出物がいっぱいでした、栄養の問題だったようです。軍隊から復員してきた親父は真っ黒に日焼けしていて一見して頑丈の様でしたが、実際は体がむくんでいたのです。内地に引き上げた時に地面にミカンの皮が落ちているのを見て安心したそうです、何故って?ミカンの皮が捨てられていたからです。お袋や親父には苦労をかけました。今の自分があるのはそのおかげです。