この度シャープが、大阪府堺市にある工場からテレビの液晶パネルの製造を今年9月をめどに終了させると発表した。

 

近年の日本の家電製品は、これまでの純国産路線から、人件費が安い海外生産、特に発展目覚ましい東南アジア・中国大陸へのシフト化が進み、現に日本メーカーの製品でも「Made in JAPAN」の文字が消え、中国、台湾、香港、マレーシアなどの国や地域がラインナップされている傾向にある。

 

その中で、シャープの液晶技術は群を抜いて「Made in JAPAN」の技術をフルに生かす象徴であり、特に、三重県亀山工場で生産された2000年代後半から2010年代初期の「世界の亀山モデル」はその象徴だったが、日本でもなじみのある韓国・中国系のメーカーの日本進出も災いし、シャープも亀山に次ぐ第2の液晶の生産拠点として、関西空港にほど近い堺に新工場を建設したが、これが裏目に出てしまい、自力再建を断念せざるを得なくなり、台湾の鴻海(ホンハイ)精密工業会社の傘下となるも、経営改善が進まず、今回の事実上の国産液晶からの完全撤退という憂き目を見ることになった(但し、規模は縮小するもスマホやパソコン・タブレット用のそれは残すらしいし、当面、東南アジア・中国大陸のメーカーが継続して液晶を製造していくことにはなると思われるので、すぐに液晶の文化が消滅するということにはならないだろうが)。
 

日本の液晶の文化はシャープが切り拓き、最初は電卓からスタートし、その後日本を代表する家電メーカーの多くが、テレビやパソコンなどで、これまでのブラウン管からより長寿命を保つことができる液晶へのシフトを図るようになる。30年ほど前は液晶といってもまだノートパソコンやコンパクトテレビ(平均5-8型)などの文化でしかなかったが、テレビのデジタル化などもあり、大型化が進められていく。

 

しかし、当時の大型テレビの相場として、平均的に40型までが液晶、それを超えるものは同時に開発されていたプラズマディスプレイという、ブラウン管に代わる新たな薄型放電管テレビにシフトされていくようになったが、プラズマの弱点は、画面焼けが起こりやすい、明るい部屋ではそれに比例するように画像が見づらくなってしまう(これは初期の小型テレビでも同じことがあげられる)、電気代などのコスパの問題もあり、なかなか定着には至らずに終わった。そこへ、シャープが40型を超える大型テレビや、公共施設、特にスタジアムやターミナルの電光ニュースなどでよくお目にかかると思うが、それらを液晶で再現する技術を開拓したことによって、プラズマに代わるテレビ・モニターのスタンダードへと発展するようになっていった。

 

近年はLEDや有機EL(エレクトロ・ルミネッセンス)と呼ばれる、より長寿命が可能な多色発光が可能な技術が増えてきているのも事実である。現に街頭の大型ビジョンや、甲子園球場などの照明などで、LEDにより、これまでは落雷などの事故から照明が復旧するには30分から1時間以上を要するなどしていた照明がすぐに復旧できるようになったり、あえて演出でスポットライト効果を生み出すなどの改善が進められているのも事実である。

 

加えて、少ない消費電力でも長寿命・高輝度を再現できるなど、19世紀末・エジソンによって世界初の人工的な灯り・フィラメントの電球からほぼ1世紀半で、電気は大きな技術の革新が進み、現代の生活の中心をなす文化になっていったわけだが、今回の日本国産液晶の事実上の終焉は、シャープが切り拓いた液晶の文化を自ら引く、いわば「自分で自分の首を絞める」形で終了となることになってしまったという印象で、一つの時代の分岐点を感じるように思える。