JR東日本の中核を担う首都圏のいわゆる「E電」(旧国電)区間だが、意外に知られていないのが「列車線と電車線」の実質的な複々線である。

 

JR西日本でも、滋賀県の米原・大津方面から京阪神へと連なる正式名・東海道本線と山陽本線をまたぐびわ湖線・湖西線・JR京都線・神戸線(草津~西明石)が、日本一長い複々線という位置づけになされており、停車駅の少ない特急系の新快速は列車線(外側)、逆に停車駅の多い快速は内側の電車線に乗り入れていることで、利用者の長距離輸送の利便性を高めている。

 

JR東日本も、国鉄時代、いわゆる「通勤5方面作戦」によって、首都圏国電区間の分散化による実質的な複々線の推進を図るようになった。特に都心23区を走る、山手線・総武線・京浜東北線(東海道本線・東北本線の近郊区間)・常磐線は早朝の混雑率が1960年代で最もひどい総武線方面や京浜東北線で300%を超える羽目となった。とりわけこの当時は千葉・埼玉方面と東京都心の電車の直通運転の整備がなかなか進まなかったことも災いしたのも影響している。

 

そこで1970年代にかけて、大規模な複々線構想や地下鉄をも巻き込んだ他線の乗り入れを推進するようにまでなっていく。

 

まず総武線と中央線の各駅停車区間の直結と総武快速の東京駅乗り入れ。これまで総武線は千葉~お茶の水の区間運転で、一部ラッシュ時の快速電車はお茶の水から中央線を介して新宿・中野・三鷹方面に乗り入れていたが、快速・特急系を錦糸町(きんしちょう)で分離し、東京駅までの地下区間を(さらに後に横浜方面の実質3複線となる横須賀線方面=いわば「横須賀総武ライン」に当たる箇所まで)新本線として乗り入れ、お茶の水経由の電車は中央線の各駅停車との直通運転化(中央・総武緩行線)によって系統分離を図り、中央線の東京駅乗り入れ電車は2020年3月まであった早朝・深夜の一部の車庫入れの都合による総武線のお茶の水折り返し運転の時間帯を補填するための各駅停車を除き、快速・特別快速(関西の新快速に相当)のみとした。これと併せて、西船橋~中野はラッシュアワーの混雑緩和を目的として、東京営団地下鉄(現在の東京メトロ)東西線への迂回乗り入れを行い、これによって実質的な3複線を確立させている。現在三鷹~西東京の主要ターミナル・立川までの複々線構想が進められているそうで、実現すれば千葉~立川が一本でつながるとされているが、実現は予算とのにらみ合いであり難航が予想されている。

 

もう一つの大きな柱が、常磐線の複々線化である。実は元々京浜東北線と並行して走る東海道本線と東北本線は1本でつながっていて、少なくとも1973年3月までは併存していたが、1980年代に開業した東北・上越新幹線の将来的な上野・東京方面への乗り入れを前提とした用地確保の観点(実質的に国電仕様の軌道を新幹線用に改修するため)ということで、列車線が分断され、東海道本線と東北本線への乗り継ぎは実質京浜東北線と呼ばれる電車区間(一部山手線並走)のみとなることで、東北本線のバイパスと位置付けられている常磐線の混雑化も懸念されたこともあって、1971年に千葉県の我孫子駅と北千住駅を複々線にし、上野(2015年の上野東京ラインによる直通運転再開後は東京・品川)との乗り入れは快速・特急系に絞り、各停を北千住から東京営団地下鉄千代田線に乗り入れることで、綾瀬駅を介して渋谷の代々木上原駅までを直結するようになった。

 

またこれは第3セクターの私鉄で、JRとの直通はしていない(秋葉原で中央・総武緩行線、南千住駅で常磐線(快速・各停とも)、南流山駅で武蔵野線との連絡はしている)が、常磐線のもう一つのバイパス線としてつくばエクスプレスが2005年に開業している。これも将来的に東京駅方面、さらには銀座経由で晴海やビッグサイトに近い新木場、さらには羽田空港方面など、りんかい線や埼京線・湘南新宿ライン、京葉線との直結化が構想として挙がっている。

 

さらに1980年代に入ると、この東海道・東北本線の列車線分断(直通不可)のあおりによる混雑緩和を目的として、実質赤羽線の延長区間という位置づけで埼京線が登場する。これまで赤羽線は環状運転を基本とする山手線の支線という位置づけで、池袋駅から分岐してわずか4駅というミニ路線にしかなかったが、1985年に混雑緩和の目的で元々は東北本線の貨物用の別線とされていた赤羽~大宮(途中に武蔵野線・武蔵浦和駅を経由)の区間を旅客化し、それを介して高崎線を結ぶ新たな動脈として埼京線が誕生した。この埼京線と並走する形で、1988年から実質的に湘南新宿ラインの前身となる池袋から山手貨物線を介した東北本線への特急・快速電車の一部乗り入れの開始を皮切りとした実質的な複々線に着手することで、こちらも系統分離による混雑緩和、さらには埼京線自体も新宿・大崎駅への乗り入れが実現するようにまでなった。

 

1990年代に入ると、千葉方面、特に臨海副都心方面(幕張など)へのアクセスを目的とした京葉線の整備が本格化する。基は貨物線として開業した区間だったが、1986年に総武線西船橋から分岐する形で千葉みなと駅までの7駅によるミニ路線として開業後も、東京方面への乗り入れ整備工事が進み、1988年に西船橋~市川塩浜、並びに東京の新木場~南船橋の2つの区間との延伸が完了。それによって、西船橋を介する形で府中本町やさいたま市浦和方面とを結ぶ100㎞以上のハブ路線・武蔵野線と直結し、武蔵野線を介して千葉市内、ないしは東京駅方面(列車による)と行き来できるようになった。併せて蘇我駅を介して一部内房・外房線(総武本線からの流れの長距離分線区間)への直通運転が特急・快速系を主として開始され、総武本線(横須賀総武ラインを含む)との混雑の分散化も図られた。

 

そして2001年に埼京線の実質的な複々線に当たる湘南新宿ラインの本格開業(ただし渋谷など一部は埼京線と同一ホームに乗り入れ)、さらに2015年には1973年に一度途絶えていた東海道・東北本線との直結を可能とする実質的な列車線の復活となる上野東京ラインの開業、それも新幹線よりもさらに上を走る区間という珍しい工法によって、在来線での東北・北関東方面と神奈川、静岡方面、さらには従来の総武線地下ホームからとは別に、品川・東京から常磐成田線(水空ライン我孫子線)経由での成田空港方面の行き来が再び簡便になるようになった。埼京線も2002年に私鉄(厳密には第3セクターでJR東日本も資本参画している)のりんかい線を経由する形で新木場まで乗り入れ(ただ、京葉線との乗り入れは現在の段階では臨時列車以外の定期運行では実現していない)、2019年には相模鉄道・東急電鉄との3者協働(東急は2023年に新横浜線を開業させるにあたり連携を深め、実質的な東横線の複々線となった)のプロジェクトにより、羽沢横浜国立大駅を介して相模鉄道本線・海老名駅を結ぶ「相鉄・JR直通線」が完成し、基本新宿までの乗り入れだが、一部のラッシュ時は埼京線方面との直通快速が運行されている。

 

僕も意外と、過去の歴史をたどると関東の鉄道も混雑問題や、通勤5方面作戦(特に千葉・埼玉・東京を結ぶハブ路線としての武蔵野線の開業は、のちに国鉄のスト権ストによる市民の暴動にまで発展する事態にもなったことがあったが)、さらには上野東京ラインの前にも東北・東海道を結ぶ直通の特急・急行系電車が存在していたことなど知らない部分が多かった。

 

関西でも、例えば大和路線の快速を大阪駅(環状線経由)まで乗り入れたり、また1990年代は関西空港・和歌山方面を快速は大阪駅や京橋駅経由、特急は(2023年3月までは大阪駅への乗り入れができなかったが)京都・新大阪から環状線を介して乗り入れられるようになったこと、また学研都市線の実質的な延長である東西線(京橋~尼崎)や、新大阪~放出~久宝寺を結ぶ新たな阪奈直通のバイパス路線であるおおさか東線、さらに2030年代に予定される大阪駅(うめきた)~JR難波を介するJR版の御堂筋線と位置付けられるなにわ筋線や、阪急・南海を介して新大阪・十三~うめきた・新難波(JR難波とほぼ距離的には近いが、現存の南海難波駅よりは離れる)を介して和歌山・関西空港へとつながる新たなハブ路線の確立など、鉄道の利便性をめぐる動きは年々変化しつつある。そう考えてみると、関東の利便性の拡充は、関西よりも大都市である東京首都圏を抱えているとあって、より先進的であり、関西もそれを見習って遅れを取り戻さねばならないということを印象付けているように思える。