花火の思い出教えて!
数年前の事なので、まだ記憶に新しいところですが、
コロナ禍で、毎年夏に行われる「新潟まつりの花火大会」が、諸般の事情もあって「11月」に延期された事がありました。
それで、現地(打ち上げ場所周辺:新潟市中心市街地の信濃川河畔)へ行くのも、結構面倒くさかったりするので、いつも「ビッグスワン」を会場として開放し、そこから花火を見ている人も結構いるのです。
季節的には、もう、あちこちに白鳥が飛来していて、ビッグスワン近くの「鳥屋野潟」も、白鳥が羽を休める場所(ねぐら)にもなっているのですが…。
花火の打ち上げが始まると、その「轟音(爆音)」に驚いた無数の白鳥が、鳴き声と共に一斉に飛び立ち、(大変だ!それ逃げろ!とばかりに)どこかへ行ってしまったのです。
ビッグスワンから更に離れた「田園地帯」で見ていた、私の家族も「打ち上げ開始直後、一体全体、何が起きたのかと思った。」と、その光景に驚いていました。
花火大会から数日間、(それまで)鳥屋野潟やその周辺で見られた白鳥の数は一気に減少し、元通りに戻る(白鳥の飛来数が回復する)まで数日(数週間)かかったそうです。
「花火の音で驚かせちゃってゴメンナサイ。戻って来て良いよ。」
なんて言葉が通じる訳も無い訳で…。
まさか、こんな事が起こるなんて、新潟市をはじめ、花火大会の主催者も、そして多くの一般市民も、誰も予想は出来なかった訳ですしね。
いろんな意味で「貴重な経験」となった、あの時の花火大会でした。
一連の模様(様子・事象)については、当時、新潟県内の多くのニュースなどでも報じられました。
「時期的・季節的に、生物などの自然環境にも配慮が必要だと痛感させられた。」
なんて内容・意味合いの、市や主催者からのコメントもあったそうです。
コロナ禍など無ければ、こうした事は起こらずに済んだはずなんですけどね。
そんな「ビッグスワン」もあったりする「鳥屋野潟」なんですが、いつ頃まででしたかね、確か’90年代の初めまでは、どの辺で打ち上げていたのかは定かではありませんけど、以前は「とやの湖花火大会」が行われていました。
「バブル崩壊」が行われなくなったそもそもの理由だとは思っていますが、「野鳥など、自然環境への配慮」が表向きの理由だったと記憶しています。
確か「ラストの開催」だったかを、当時務めていた会社の関係で、駅南にある某大学(かつての某専門学校(私の母校))の最上階にある大教室を会場に、花火を見ながらみんなで飲み会をやった事もありました。
まだその頃は、駅南周辺に、今では当たり前の様に林立しているタワマンの影も形も無く、花火見物にはうってつけの場所でした。
あと、地元の田んぼからも、「新潟まつりの花火」より結構良い感じで花火が見られました。
無論、「ビッグスワン」や「エコスタ」、「消防署」、「アイスアリーナ」、現在の「市民病院」、ひょっとしたら「新潟テルサ」も存在しませんでした。
「産業振興センター」も無かったかも知れません。
周辺の高速道路や「イオンモール」、「アピタ」も当然まだ存在しませんでした。
「弁天橋」も道幅が狭く、「弁天線」も、今程広い道路ではありませんでした。
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