BSプレミアムで放送されていました。
番組表で見た時は、「何故、この曲が革命のメッセージソングなのか?」と思いました。

この曲がビートルズによって世に出たその頃、チェコスロバキア(当時)の首都プラハでも、自由化の波が訪れようとしていました。
そして、この曲に接したマルタ・クビショバも、ビートルズに少なからず影響を受けました。

そして、’68年、マルタにとっても、この曲をカヴァーしたいと思っていたであろう矢先、「プラハの春」は訪れ、そして、その波は、「ソ連軍の侵攻」によってかき消されてしまいました。

そして、時代は流れ、ソ連(当時)の「ペレストロイカ」に端を発する形で、再び、東欧諸国に「自由化の波」が訪れました。

その時の「テーマソング」になったのが、マルタによって「改詞」され歌われたこの曲でした。

「プラハの春」と同じ時代、東欧、特に共産主義を掲げる強行的な国にとっては、ビートルズの曲こそが「最も反社会的な曲」の筆頭に挙げられていたそうです。

「プラハの春」は、ソ連軍によって「言論の自由」を抑え付けられた歴史的事件でした。

世が世なら、マルタは「チェコのアイドル」に止まる事は無かったでしょう。

そしてまた、ビートルズにとっても、この曲は「紆余曲折」を経てリリースされた名曲となりました。
ポールはこの曲をA面に推し、この曲によって「やり玉に挙げられてしまった」ジョンは「レヴォリューション」をA面に推しましたが、結局は、この曲が「A面」となりました。
「両A面」とは行かなかった訳です。