当時、「最強」の名を欲しいままにグランプリシーンを席巻していたウィリアムズ・ホンダFW11。
圧倒的なパワーで、コンストラクターズ・タイトルを決めていました。
そして、ワールド・チャンピオンに王手をかけていたのが、「レッド5」のウィリアムズを駆るナイジェル・マンセルでした。
ナイジェルは「3位以上」でこのレースをフィニッシュすれば、ドライバーズ・タイトルを獲得出来たのです。
ところが、タイトル獲得に向けて盤石のウィリアムズ勢に割って入ろうと、そのタイトル獲得に向けて虎視眈々と画策していたのが、マクラーレン・TAGポルシェを駆るアラン・プロストでした。
プロストは、同僚のケケ・ロズベルグにレースをリードさせ、ある意味「引っかき回す」作戦に出たのでした。
と言うのも、ロズベルグは、このレースを限りに引退を表明しており、「失うものは何もない状況」でした。
途中、プロストがタイヤのトラブルを訴えて緊急ピットイン。
その際、グッドイヤーの担当者がタイヤの減り具合をチェックした訳ですが、「思いの外、減りが少なかった」事から、「タイヤ交換の必要なし」と判断してしまったのでした。
この情報が、後にレースの行方を大きく左右する事になった訳ですが、しゃにむに飛ばしまくっていたロズベルグのマシンのタイヤが摩耗してしまい、彼のマシンはストップしたのでした。
そこで、ウィリアムズはナイジェルに対してピットインの指示を出した訳ですが、彼のマシンのタイヤは既に限界…。
長い長いブラバム・ストレートの途中で、左のリヤタイヤがいきなりバーストしてしまい、マシンコントロールが出来ないままストレート・エンドを直進したところであえなくリタイアとなってしまいました。
ナイジェルの僚友(?)ネルソン・ピケが、その直後に緊急ピット・イン。
その後はネルソンとプロストの争いとなりましたが、プロストがトップ・チェッカーを受けフィニッシュ!
タイトル争いはプロストに軍配が挙がったのでした…。
このレースが、後に、’92年にタイトルを獲得するまで続いた、ナイジェル・マンセルの「無冠の帝王伝説」のきっかけとなったのではないかと、私は思っています。
なお、この当時の開催地でもあった「アデレード市街地サーキット」ですが、今でも「競馬場」を目印に探すと、ホームストレート周辺の施設を目にする事が出来ます。
チェッカーフラッグを振っていた、通称「チェッカーおじさん」。
オーストラリアGP(アデレード)の名物的存在でしたが、今、チェッカーのシーンを改めて見ると、「危ねぇよなぁ…」と思ってしまいます。
今じゃぁ、「コントロールタワー」でのチェッカーが当たり前ですけど、この当時は、コース脇でチェッカーを振る姿を見られるサーキットがいくつかありました。