某B局のご厚意によりまして、行ってきました。
「フコク生命 チャリティコンサート」
日本フィルのメンバーによる「弦楽四重奏」でした。
どの曲も、その殆どが「お馴染みの曲」でした。
モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
ヴィヴァルディ/「四季」より「春」
ドヴォルザーク/「新世界」より「家路」
サン=サーンス/「動物の謝肉祭」より「白鳥」
五木の子守歌
八木節
エルガー/愛の挨拶
モーツァルト/弦楽四重奏曲第15番ニ短調
夏の思い出
虫の声
佐渡おけさ
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番
川の流れのように
ヨハン・シュトラウス1世/ラデツキー行進曲
(以上)
なお、家を出る時間が遅くなり、開演時間に間に合いませんでした。
「アイネ・クライネ…」も全曲演奏したらしいですが、その前半部分を聴けませんでした。
個人的な「劇場」の感想ですが、ステージを見下ろす形で客席があり、また、同じ「りゅーとぴあ」の中であっても「コンサートホール」との決定的な違いは「室内の音響効果」にあります。
「コンサートホール」ですと、そのホール全体が「コンサート向きの音響効果」を狙って専門的に設計されているのに対し、「劇場」は、どちらかと言うと「舞台向き」に設計されているのです。
「コンサートホール」で感じる事の出来る「適度な残響」が、「劇場」では「?」でした。
このコンサートのために用意されたと言う「サプライズ」が「佐渡おけさ」でした。
通常、我々一般市民が聴き慣れているおなじみのバージョンに比べ、若干「節回し」が違っていたため、「ん?」と思う所が何カ所かありました。
メンバー全員が新潟には全く縁がなく、日本フィルのメンバーの中にいる新潟出身者も、「え~っと、何だっけ?」みたいな感じだったんだそうです。
東京の新潟県人会を通じて、ある作曲家の先生に、弦楽四重奏向けにアレンジして頂いたそうですが、その辺も、この「微妙な節回しの違い」に表れていた様な気がしました。
特に1コーラスの後半部分(佐渡は居良いか住みよいか)の部分は「無理矢理譜面に書き起こした感」が満点でした。
アレンジも、そして何より演奏者本人も、「一生懸命さ」よ言うか、「苦労や努力の跡」が感じられる曲でした。
「クラッシック」でありながら、何処となく「ジャズィーな雰囲気」も漂ってくる様な旋律にも感じました。
「佐渡おけさ」に限らず、「民謡」にはそんな一面もあるのかも知れませんね。
アンコール2曲目の「ラデツキー行進曲」に関しては、オーケストラの迫力とは違い、「四重奏」…つまり4人だけ、弦楽器のみで演奏しているので、楽器の奏でる「音」が場内の「手拍子」にかき消されてしまっていました。
やっぱりこの曲は、「オーケストラ」じゃないと迫力が出ませんね。
話が前後しますが、家を出たのが6時で、現場に到着したのが40分後。
江南区の南のはずれから、出来るだけ近道をしようと思ったのに、途中「西跨線橋」が工事中で迂回を強いられました。
それさえなければ、もっと早く到着したはずなのに…。
それにしても、距離にして10km以上の道のりを、自転車でスプリントしちゃったもんだから、胸が苦しいやら、頭が痛いやら…。
オマケにその影響で、帰り道は「向かい風」と言う事もあってか、行きでのスピードは殆ど無く、足にも力が入りませんでした。
軽く流すだけで精一杯でした…。
「フコク生命 チャリティコンサート」
日本フィルのメンバーによる「弦楽四重奏」でした。
どの曲も、その殆どが「お馴染みの曲」でした。
モーツァルト/アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク
ヴィヴァルディ/「四季」より「春」
ドヴォルザーク/「新世界」より「家路」
サン=サーンス/「動物の謝肉祭」より「白鳥」
五木の子守歌
八木節
エルガー/愛の挨拶
モーツァルト/弦楽四重奏曲第15番ニ短調
夏の思い出
虫の声
佐渡おけさ
ブラームス/ハンガリー舞曲第5番
川の流れのように
ヨハン・シュトラウス1世/ラデツキー行進曲
(以上)
なお、家を出る時間が遅くなり、開演時間に間に合いませんでした。
「アイネ・クライネ…」も全曲演奏したらしいですが、その前半部分を聴けませんでした。
個人的な「劇場」の感想ですが、ステージを見下ろす形で客席があり、また、同じ「りゅーとぴあ」の中であっても「コンサートホール」との決定的な違いは「室内の音響効果」にあります。
「コンサートホール」ですと、そのホール全体が「コンサート向きの音響効果」を狙って専門的に設計されているのに対し、「劇場」は、どちらかと言うと「舞台向き」に設計されているのです。
「コンサートホール」で感じる事の出来る「適度な残響」が、「劇場」では「?」でした。
このコンサートのために用意されたと言う「サプライズ」が「佐渡おけさ」でした。
通常、我々一般市民が聴き慣れているおなじみのバージョンに比べ、若干「節回し」が違っていたため、「ん?」と思う所が何カ所かありました。
メンバー全員が新潟には全く縁がなく、日本フィルのメンバーの中にいる新潟出身者も、「え~っと、何だっけ?」みたいな感じだったんだそうです。
東京の新潟県人会を通じて、ある作曲家の先生に、弦楽四重奏向けにアレンジして頂いたそうですが、その辺も、この「微妙な節回しの違い」に表れていた様な気がしました。
特に1コーラスの後半部分(佐渡は居良いか住みよいか)の部分は「無理矢理譜面に書き起こした感」が満点でした。
アレンジも、そして何より演奏者本人も、「一生懸命さ」よ言うか、「苦労や努力の跡」が感じられる曲でした。
「クラッシック」でありながら、何処となく「ジャズィーな雰囲気」も漂ってくる様な旋律にも感じました。
「佐渡おけさ」に限らず、「民謡」にはそんな一面もあるのかも知れませんね。
アンコール2曲目の「ラデツキー行進曲」に関しては、オーケストラの迫力とは違い、「四重奏」…つまり4人だけ、弦楽器のみで演奏しているので、楽器の奏でる「音」が場内の「手拍子」にかき消されてしまっていました。
やっぱりこの曲は、「オーケストラ」じゃないと迫力が出ませんね。
話が前後しますが、家を出たのが6時で、現場に到着したのが40分後。
江南区の南のはずれから、出来るだけ近道をしようと思ったのに、途中「西跨線橋」が工事中で迂回を強いられました。
それさえなければ、もっと早く到着したはずなのに…。
それにしても、距離にして10km以上の道のりを、自転車でスプリントしちゃったもんだから、胸が苦しいやら、頭が痛いやら…。
オマケにその影響で、帰り道は「向かい風」と言う事もあってか、行きでのスピードは殆ど無く、足にも力が入りませんでした。
軽く流すだけで精一杯でした…。