そしていよいよ「参號機」の自作に着手したのが「2001年」の事でした。

マニア向けのPC雑誌を見ながら、マザーボードの選定をした訳ですが、当時、SDRメモリ用チップセット「(VIA)ApolloKT133A」は熟成が進み安定性も文句なしでした。

そして、新たに登場したのがDDRメモリ用チップセット「(VIA)ApolloKT266」や「(AMD)760」でした。

他にはSDR/DDR両方に対応したチップセットとして「(ALi)MAGiK1」などもありました。

基本コンセプトの一つでもあった「安定性」を重視し、まだまだ不安定要素を払拭出来ていなかったDDRよりは、SDRで手堅く行こうと思い、マザーボードはAOpenの「AK73Pro(A)」を選びました。

そして、CPUには、「とりあえず」と言う事で選んだのが、AMDの「Duron-750MHz」でした。

石(CPU)自体が安かったし、何より「ナナハン」と言う響きに惹かれてしまいました。

CPUクーラーは、弐號機時代に購入し、ライザーカードの寸法やソケットの向きから取り付けたくても取り付けられなかったカノープスの「Firebird R7」を取り付けました。

まぁ、「Thunderbird(266)-1.4GHzへの布石」として選んだ「捨て石」だから、性能は「それなり」でしたが、「Thunderbird(266)-1.4GHz」に換装した時には「GHz-PCの底力」を感じました。


「参號機」の自作と時を同じくして、「初號機」にも目処を付ける時が来たと感じ、「弐號機」の主要部品と共に「初號機」の部品の殆どを売却し、「参號機」の資金の足しにしました。

こんな形で、AMDの世代交代は行われました。


グラボに関しては、「GeForce2MX」から、程なくして「RADEON8500(LE)」へと変更。

3Dグラフィックスのベンチマークでクオリティの高いグラフィックスを見せてくれたり、DVDの再生支援にも貢献しました。

HDDに関しても、MaxtorのドライブでRAID-0(ストライピング)を行っていた訳ですが、ディスクの劣化に伴い、IBMの「IC35L080AVVA07」(2基)でのストライピングに変更されました。

サウンドに関しては、まだまだ「サラウンド」が本格的ではなかった事もあり、オンボードでもサポートされていなかったため、フィリップスのサウンドボードを使っていました。

ヤマハ(724)に負けず劣らず、これもこれで「結構良い音」でした。


電源は、この頃だったと思いますが、「Athlon=大飯喰らい」と言う事もあり、当時定番の「デルタ電子の300W(300KB-1A)」に換装しました。


「参號機」が「惨號機」とならずに済み、期待通りのパフォーマンスを発揮してくれました。