「PentiumⅢ」の登場により、「初號機」の限界を感じつつ、「弐號機」の自作に着手した2000年。

そんな訳で、CPUにはとりあえず「PentiumⅡ-300MHz」を使うため、選んだマザーボードがABITの「BE6-Ⅱ」。

予算に余裕があれば、MSIの「BX-Master」にしようと思っていたのですが、物がなかった事もあってか、結局、「BE6-Ⅱ」を選びました。

他にはAOpenからも「AX6BC Pro2 Black Limited」も発表されましたが、こちらは「単に設定の幅が広がっただけ」で「機能強化は一切なし」でした…。

(同社「漆黒のマザーボード」はここから始まった…?)

OSは「Windows98(SP)」、メモリはPC133-128MB(SDR)、HDDは、後に「RAID-0(ストライピング)」の流行から、Maxtorの「Diamond Max40+(M51536U3)」(40GB)を2つ、Promiseの「Fasttrak100」に接続していた事もありました。

(オンボードのUltraATA66コントローラ(HPT製)ではRAID機能は無かったと記憶しています。)


グラボに関しては、「Voodoo3」がメインでしたが、後半になり、nVIDIAの「GeForceシリーズ」が勢いを見せる中、その中でも「廉価版」の「GeForce2MX(200)」(SUMA製)を導入。

ギガテクセル時代の(本格的な)3Dグラフィックスに魅了される事となりました。

それまでのグラボとは大違いでした。

また、その流れが本格化する中で、3dfx(Voodoo)陣営も巻き返しを図ろうと思っていたのかいなかったのか、後発の「Voodoo4」と「Voodoo5」で完全に墓穴を掘ってしまい、結局、最終的には「nVIDIA」に買収されてしまいました。

「Glide(グライド)ファンクション」を利用したグラフィックスの美しさは、他社(特に買収したnVIDIA)には無かっただけに、あのニュースを知った時にはガッカリしました。


CPUは、その後、Slot1用のSocket370ライザーカード(Coppermine対応)・SOLTEKの「C-tune++」を介して「PentiumⅢ-600E」へとパワーアップされました。

サウンドに関しては、YAMAHAの724チップ搭載サウンドボードを採用していました。

当時はまだまだDVDなんて無かったから、サウンドに関してはこれで十分でした。

そこそこ綺麗な音だったし…。

CD-ROMドライブに関しては、クリエイティブの「インフラ48x」を使っていました。

CD-Rは、あるにはあったけど、殆ど使っていませんでした。って言うか、「使えなかった」と言った方が正しいか。


当時の記憶をたどると、こんなもんかなぁ…なんて思っています。