「弐號機」の自作に向けて、友人(当時)からも「とりあえず、次は『Slot1』で組んでみたらどうか」などと言われながら、不要となった「ATXのケース」や「PentiumⅡ(耐性バッチリの当たり石<300MHz:SL2YK>)」を譲り受けたりしました。

「初號機」における「初期トラブル(BIOSの熟成不足(?)に起因する不具合)」等の理由から、「安定志向」で行こうと、当時、抜群の安定性を誇っていた「i440BXチップセット搭載マザー」が気になっていました。

当初、AOpenの「AX6BC Pro2」辺りの導入を考えていましたが、チップセット自体の熟成が進み、安定性も抜群、とは言うものの、ATA周りの対応が「ATA33」に留まっていたのです。

本来、このチップセットのFSBは「Pentium」Ⅱ/Celeron用」に「66MHz動作」を前提に設計されていましたが、クロックアップに対する耐性が抜群で、後発モデルのPentiumⅡに合わせて「100MHz動作は当たり前」となり、時代の末期には「EBモデル(133MHz版)のPentiumⅢ」の登場もあり「133MHz動作もOK」と言う状況でした。

マザーボードの設計次第で、死ぬ気でやればそれ以上も可能(最高で200MHzまで設定可能)と言う状況で、パワーユーザーの間では、クロックアップの必須アイテムと化していました。

そして、「PentiumⅢ」の登場により、「K6-xシリーズ」を筆頭とした「スーパー7陣営」は次第に追い込まれて行きました。

が、「PentiumⅢ」も、登場当初の「Katmaiコア」に関しては「導入慎重派」がいた様で、私自身も「とりあえずPenⅡ」と弐號機のコンセプトを決めていました。


1999年後半、雑誌の特集記事でも「ポストi440BXマザーの登場」などが話題となり、「i440BXマザー」も「機能補完型」の製品がラインナップされる様になり、「弐號機」のコンセプトも徐々に固まって行きました。

(VIAから発表された「Apollo Pro133シリーズ」が「FSB133MHz対応チップセット」の代表格でしたが、この頃は、チップセット自体の熟成もまだまだ進んでおらず、「PC133 VC SDRAMやAGP 4xに対応」を唱っていたものの、実際は「慎重論」の方が根強かったのを憶えています。)

それと同時に、「PenⅢ」も「Katmaiコア」から後継の「Coppermineコア」のリリースがされ、搭載予定のCPUに関しても徐々にその路線が固まって行きました。


それと同時に、「スーパー7最強の赤いマザーボード」FW-5VGF+/Ultraの導入計画は、完全に消滅しました…。