話の時間軸を「零號機」へと戻し「零號機(プロトタイプ)」のパーツを一部流用する形で、いよいよATベースの「初號機」を自作する事となった訳ですが、その頃の私は、「どの様な形式のマザーボードがあるのか」と言った「DOS/Vマシンの基本」を、正直、余り良く理解していませんでした。

友人(当時)に言われて、マザーボードを良く見比べてみると、確かに「ATX」にはある「バックパネル周辺のインターフェースコネクタ群」が「AT」のマザーボードには無く、その殆どが拡張スロット部分に「ブラケット」として取り付ける方式でしたし、PS/2キーボード用の大型DIN端子だけが別個にありました。

また、ブラケットにあるCOM(シリアル)ポートやLPT(セントロ/パラレル)ポートも、(零號機の時に気付いた事ですが)98シリーズとは全く違う形式で、「ATX」では標準装備の「USB端子」も、「AT」では「オプション(ブラケット別売)」となっていました。

当然の事ながら、電源も「AT電源」で、コネクタの形も「P1/P2形式」でした。

その頃、時代の主流は既に「AT」から「ATX」へと移り変わっており、「ソケット7のATマザー」も、その種類が限られていました。

そんな事もあり、メーカーなど考えもせずに、ただ「店頭で扱っていたATマザーボードの中で一番拡張性が良かったから」と、安易な理由で選んだのが、DCS(通称:トンボ)の「S7AX」(Baby-ATマザー)でした。

チップセットは「ALi」の「Aladdin-V(通称:アラファイ)」。

板の造り自体、「オールジャンパ」と、BIOS等で自動設定化されている現在からは想像も付かない程、ある意味「マニアックな代物」でした。

マニュアルは当然の事ながら「オール英語」で、日本語の影も形もない、薄っぺらな代物でした。

まぁ、この辺は、英語なんて判らなくても、「勘(単語のフィーリング)」で何とかなったのですが、とりあえず、マニュアルの記述と、ボード上の「シルクプリント」から、(先細のラジペン片手に)ジャンパの設定をして行き、設定だけは一応完璧に出来ました。


CPUは「K6-2/300」を、とりあえず「定格設定」で、グラボはその頃、まだPCIのボードしかなかったので、とりあえず「グラフィックス・ブラスター・エクストリーム」を、サウンドは、「サウンド・ブラスター16/ISA」を取り付けました。


グラボの立て付けが元々悪かったりしていた訳ですが、そこへ持ってきて、定格動作なのに安定しない…。


当時、BIOSのアップデートなど、考えもしなかった訳ですから、その辺も当然といえば当然ですが、出荷時のBIOSのヴァージョンが「それなり」だったため、定格動作でも「かなり」不具合が出ていたのです。

結局と言うか、とりあえず、お決まりの「クロックアップ(333MHz)」や「喝入れ(動作電圧の昇圧(加圧))」などでその場を凌ぎました。

その後、BIOSのアップデートを重ねる事で、動作は安定して行きました。


今でも御用達のショップで、「掘り出し物市」があると聞き、その時入手したのが「3Dブラスター・バンシー」。

初めてのAGPグラボでした。

が、チップ(Voodoo Banshee)自体の発熱量が尋常じゃないくせに、「ヒートシンクだけ」といった放熱器だった

事もあり、3Dゲームをすると、途中で熱暴走によりフリーズしてしまう有様でした…。

ケースのカバーを開放しきって、外気を積極的に当ててやっても、夏場は特にキツかったのを憶えています。

現在しはんされている「ファンレスのグラボ」とは、その発熱量が随分違います。

(「熱暴走時」はあまりに熱くて触れない程でした…。なのに、あんなに小さい(チップと同サイズの)ヒートシンクだけとは…。)

他社のBansheeグラボでも「ファン付き」が当たり前でした。

初號機のグラボに関しては、ほぼこのまんまでしたが、後々、「Voodoo3」を試しに入れてみた事もありました。

「Voodooファミリー」は基本的に好きなグラボでしたが、ご多分に漏れず「Voodoo3」までで終わりでした。

「Voodoo3」も「熱がり」なくせして「ファンレス」だったため、小型ファンをどっかのCPUクーラーから取って付けて(無理矢理)冷やしていました。(笑)


CPUはその後、「K6/2+-500」を入手して、「550MHz」として動作させていました。

内部(オンダイの)L2キャッシュは「K6-Ⅲ譲り」のものを半減させる形(128kB)で搭載していたかも知れませんが、インストラクションコード(特殊命令群)として、「Athlon(K7)」から「Enhanced3DNow!」が搭載されていたものの、元来から抱えていたFPU性能の低さがネックとなり、その命令を生かし切るまでには至らなかった様です。

一応「スーパー7マザー」としての機能を持っていた訳ですが、FSBが100MHzまで上がらなければ、恐らくはここまでパワーアップ出来なかったでしょう。

CPUの動作倍率に関しても、「5.5倍動作」が可能だったため、「550MHz」まで上げる事が出来ました。


その後、「弐號機」の登場で「メインマシン」の座を譲る事となりましたが、何だかんだで、(マシン名の矛盾はありますが)後々の「参號機」の登場まで「サブマシン」として君臨し続けました。

「初號機」から、途中(ほんの一瞬)「試(四)號機<K7(Slot-A)>」を経て、最終的に「参號機(ソケットA<雷鳥>)」へと、AMDの流れは確実にそのバトンを継承して行く事となります。