そもそも、Windows以前のPC-98には、搭載メモリの上限など、殆ど無意味な話でした。

「内部増設の専用メモリは高いから」と、せいぜい使っていたとしても「Cバス用のEMSメモリをRAMディスクやキャッシュメモリとして使う」位でしかありませんでした。

そして、個人的には「Windows3.0B」から「Windows」を使い始めた訳ですが、そうなると、データバスのバス幅の関係で、Cバスはせいぜい16ビットのバス幅でしかなかった訳ですが、内部増設専用メモリともなると、32ビットのバス幅でアクセス出来ると言う、当時としては夢の様な代物でした。

何がともあれ、最初っから載っかっていたメモリは3.6MB、そこにメモリボードとして、とりあえず4MB(だったかな?)を増設して「7.6MB」とした様な…。

更にそこへ「メモリモジュール」の形で2MB単位で増設していく訳ですが、そのためのスロットが4本あり、メモリボードだけでもトータルで「12MB」増設出来ました。

が、ここで、内部メモリの上限が決まっているので、実容量は「15.6MB」でも、そのうちの1MBが無駄になってしまい、「14.6MB」までしか行かなかったのです。

「最低でも16MBは必要」とされていた中で、この「制約」が「メモリの壁」として大きく立ちはだかったのです。

結果として、当然の事ながら、「ハードディスクへのアクセス」も頻繁になり、「Windows95」の「最終段階」においては、もう「最悪」と言うしかありませんでした。


ある時、メルコ(現バッファロー)から、オーバードライブプロセッサの「下駄」に「メモリスロット」をジョイントさせた「ハイパーメモリーCPU」なる代物が登場し、「これを使えばメモリの壁は解消出来る」と言うキャッチコピーがカタログに載っていました。

そのメモリモジュールも「あるノートPC用のモジュール」を装着するもので、CPU自体は(一説によると)AMDの486DX4-100MHz相当品だったと記憶していますが、その当時から、「メルコダウン」の噂も耳にしていたり、値段も高かったりと言う事もあり、導入を見送り、そのままの状況で使っていました。