ここで、禄號機を久々に自作した事もあり、自分の自作機人生の「原点」を振り返ってみる事にしようと思います。


 その頃、私は「PC-9821As/U2」を何年も使い続けていました。

当然の事ながら、CPUは「i486DX-33MHz」から、オーバードライブプロセッサの搭載によって「i486DX4-100MHz相当」にアップグレードされ、OSも「Windows95」を使っていました。

当時は、内蔵の約500MB(IDE)に、外付けの1GB(SCSI)と言う、今では考えられない低容量のハードディスクで、グラボもアイオーデータの「ドラゴンスター64V」(当然Cバス)でした。

※カノープスやメルコ(現バッファロー)からも、「ローカルバス対応のグラボ」が発売されていましたが、カノープスの製品は、NECの純正品並に高価で、また、メルコのグラボも、「ローカルバス」と言う割にはパフォーマンスがイマイチと言う専らの評判でした。

SCSIボードはロジテック製「SMIT(サミット)転送<PIO転送?>」対応ボード、RS-232Cの転送能力が元々(凄く)低かったので、グラボの「セカンドバス」に対応した「高速RS-232Cボード」を増設していました。

「ファイルスロット」には、αデータの「5インチFDドライブ」を増設していましたが、元からあった2基の3.5インチのFDドライブは、劣化のため、全く機能しておらず、修理しようにも馬鹿馬鹿しい程ベラボーな値段だったので、やむを得ずそのまま放置していました。

そんな環境下でやっとこさネットをしていた(当時は俗に言う「288」が当たり前)訳ですが、今のコンテンツの重さを考えると、コイツでネットをやっていたらどうなっていたかと思うと、苦笑いするしかないでしょうね。きっと。

(今では「過去の遺産」となりつつある「PCIスロット」も付いていない代物でした。)


 その当時でもそんな有様でしたから、その状態を見かねた友人(当時)から譲り受けたのが「零號機(プロトタイプ)」でした。

今では「ATX」が一般的な形式ですが、そのマシンは「AT」でした。

「英語だらけ」だった事もあり、初めての「DOS/V PC」に、当初は困惑を隠せませんでした。

が、ここで「技術者の血」が騒いだんでしょうね。

内部の構造がどうなっているのか確認し、その造りが意外な程シンプルだったのに驚いたと共に、「これなら自分でも自作出来るんじゃないか?」と実感しました。

主なスペックですが、マザーボードはギガバイトの「GA-5TX」(だったと思う)、CPUは「Pentium-166MHz」、メモリは64MB(当初はSIMM、後にDIMMに変更)、CD-ROMは、クリエイティブの「12倍速」(だったと思う)、サウンドは、「サウンドブラスター16」(ISA)、グラボは「S3 ViRGE DX」と言う内容でした。

ハードディスクはどんなんだったか記憶にありませんが、QuantumのATA66のハードディスクをATA33に落として使っていました。

当時の「ソケット7」のプラットフォームを考えると、チップセットは「i430TX」で、FSBも66MHz、AGPスロットは当然無しと、至ってシンプルな内容でありながら、安定性を重視した堅実な構成でした。

尚、CPUに関して一言付け加えるとするなら、この「オールド・ペンティアム」は本当に一時的なもので、その後、私の自作人生を決定付ける事になった「K6-2 300MHz」へと換装されました。

(当時、「MMXペンティアム」よりは「K6-2」の方がコストパフォーマンスに優れていました。)

また、この当時、「クロックアップ」が常識化しており、ご多分に漏れず、私も「333MHz」へとクロックアップして常用していました。

そして、ほんの一時、「グラフィックスブラスター エクストリーム」(3DLabs Permedia2搭載)も試したりしましたが…。


「ATX」に魅力を感じつつも、「AT」で「初號機」の自作を強いられる訳ですが、「ソケット7」の拡張版(Advanced Edition)とも言うべき「スーパー7」へと、移行して行くのでありますが、それに関しては、また後程…。