禅や仏教に興味を持ち始めたのは

マインドフルネス瞑想などに取り組むようになって、

その手の本を読んだ際に

「マインドフルネスは、古代インドで起きた自己修練や精神鍛錬のメソッドであった仏教から、

アメリカ人にも受容されやすいように宗教色を取り除いたもの」

といった記述を読んで、

仏教国である日本に生まれ育った自分なら

その宗教色を拭い去らずに取り組んだ方が効果があるのではないか

と思ったからです

 

今思うと、

「古代インドで起きた自己修練や精神鍛錬のメソッドであった仏教」

という理解も

「マインドフルネスは仏教瞑想からアメリカ人にも受容されやすいように宗教色を取り除いたもの」

という理解も

一面的過ぎるなぁと思いますが

当時は

それもそうだ

と思ったものです

 

自分の興味は、マインドフルネス瞑想からの展開として、

上座部仏教や禅に向かったのですが

特に衝撃的だったのは

道元禅師

でした

 

高校の歴史の教科書に名前が載っていたくらいの認識しかなかったのですが、

その教えや人となりを知るにつけ

(といっても、はじめは曹洞宗のお坊さんや宗教学者・哲学者の先生からの解説を読んだり聞いたりするだけでした)

何とも興味深く感じました

 

 

知的好奇心をそそられるし

自分の精神や思考にも糧となる内容だと

ジーンと思えたのでした

 

解説本に引用してある「現成公按

文調やリズム、意味深な語彙や言い回しが、なんとも心地よく

自分が生まれ変われるのではないかという気にさせてもらえました

 

 

 

 

 

 

 

こういう意識こそが

「迷い」

の現れなんでしょうが、

当時の私は、

「ここに生きる手掛かりがある」

と、探していた何かが、土の中から、少しだけ顔をのぞかせているように感じました