まさかの義元復活

…と思ったら夢だったのか

 

 

今回のストーリーを見て

戦国時代の家族観というものはどういうものだったのか

非常に興味がわきました

 

ドラマを見てると

マツジュン家康に同情を禁じえませんしショボーン

 

瀬名姫が可哀そうに思えてなりませんえーん

 

また

やっと会えたナナコ母の

「家臣と領地の為に妻子を捨ててこそ主君」

「つまらぬことに気を取られるな」

という感じのセリフ

 

つ、つ、つまらぬこと?

 

非情ですプンプン

 

でも、

もしかしたら

今 僕たちが感じている

「家族」とか「家族愛」って

わりと最近のものかもしれない

と思えました

 

<子供>の誕生

 

今期、放送大学で、フィリップ・アリエスという歴史家の「<こども>の誕生」という古典を知りました。

 

その内容は、欧州の歴史の中では、<子供>というものが今のように、大人と区別された未成熟で弱く保護されるべきものとして観念されだしたのは近代に入ってからとのことで、

フランス革命までの頃は、あくまで「(物理的に)小さな」大人であり、今ほど特別扱いされず、親も親で子供の死生に関して、今の目から見れば「無関心」だったという。

つまり、「子供」という概念そのものがなかったというのです。

 

その後、産業革命に向かう中で

上質の労働力を効果的に教育するために学校という制度がはじまり

その学校に通う者として、子供の概念が誕生したとのこと。

 

また、学校が学年ごとに構成されることで、幼年と少年が区別され、

また兵役と訓練が、少年と青年との区別を生み出したそうです。

 

そして、子供が学校によって社会から隔離される中で、それを、愛すべき、また保護すべき対象として社会的に確立されたと。

 

また家族というものが、社会とは別の共同体として成立したのもこのころで、

それまでは、労働や生産を含めた社会集団(例えば農作業)が共同体であり、家族との境目は稀薄であり、したがって今風の家族愛や家族の絆というものは強くなかったそうです。

近代家族論

社会学や家族論については全く門外漢なのですが、

社会学の領域に「近代家族論」というものがあって、

家族の形は時代で大きく異なり、

今私たちのイメージする家族というものは

近代(欧米では産業革命後、日本では明治維新後)になってから形作られたもので

それまでの「家族」とは

今のそれとは大きくイメージも役割も異なるものだったそうです。

 

産業革命前の

例えば農業や家内制手工業といった

生産と家庭が未分離している中では

家族という単位はあまり意識されないほど

自分の領域に血縁者以外のものが多く入り込んでいたのが、

 

産業革命で

工場に働きにいくという世の中になって

はじめて

工場や会社などの「公(おおやけ)」と、

働かない場所としての「プライベート空間」である家庭=家族が成立し、

家族は他から隔絶した強固な集団になった

 

そうすると、それまで家族以外にも成立していた広範な人間関係が希薄になり

一方で集団性を強化した家族により、「愛情経験の場は排他的に独占」されることで、家族の中の愛情が特権化されたそうです。

 

(参考)家族のかたちは時代で変わる 〜早稲田大学・池岡教授「家族社会学」講義

 

西洋と東洋でさまざまな前提は違うでしょうし

労働者階級といった庶民の家族観の考察が、武家しかも領主層という一握りのエリート層のそれに当てはまるのかどうか、門外漢にはよくわかりません。

 

あるいは、日本では長く儒教の影響があり、特に家族関係では親子の孝のような徳目の影響もあったと思います。

 

ただ、

夫婦の愛情や、親子愛、家族愛などは、人間が持って生まれた当たり前の感情のように思っているが、

政略結婚だったり乳母制度だったりあるいは一夫多妻制など今とは大きく異なる社会の中でも、そうだったのか

言い換えれば、「愛情」というものは人間にとって先天的・普遍的なものか興味のあるところです(個人的にはそうであってほしいなと思いますが)