カーネギー「道は開ける」第7章
カブトムシに打倒されるな
章末の言葉
気にする必要なく忘れてもよい小事で心を乱してはならない
小事にこだわるには人生は余りにも短い
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
![]()
頭では分かってます![]()
そうならなくて済む方法が欲しいのです![]()
この本のここの章には
太平洋戦争中に
日本軍の機雷の散布で
九死に一生を得た潜水艦の乗組員が
その沈みかけた潜水艦の暗闇の中で
出港する前の人生の中で
いかに
どうでもいいことで
人生の時間を浪費してしまってたかと
きずくエピソードを紹介している
その他にも
些末なことで
人生の大切な時間を
無駄にしてしまったことに
あとで気づいた人たちのエピソードが沢山
章題の「カブトムシに打倒されるな」とは
何百年も雨風に耐え
雷がおちても朽ち果てなかった大木が
カブトムシたちが
徐々に樹液を貪りあさるうちに
木の内側から徐々に
浸食されて
ついに倒れてしまう事
それは
人は
人生の大きな困難には
火事場の馬鹿力も使って
歯を食いしばって
打ち勝っていくことが出来ても
たわいもない日常の不満や不平と
そこから沸き起こるイライラと愚痴で
精神の内側から
蝕まれていくことが多いことを
比喩しているという
これは難儀だ
これは試練だ
と思っているときには
身体も心も
それへの抵抗で
緊張して
力がみなぎっている
問題は
その嵐が過ぎ去って
日常の風景の中で
心に
カブトムシが
這い始めたときだと
なんとなく
つまらない…
なんとなく
嫌かも…
だんだんと
それが浸食して
愚痴や不満の連鎖
カブトムシが大発生するように
それが危ないと
カーネギーは言う
分からないでもない
いや、分かる
でも、
それを
喰いとめる術も
もっと書いて欲しかった
カーネギーがたくさん書いたエピソードから推測するに
彼は、
人生は短いということが分れば
そんな些事に拘ってる暇はないと
功利的に思考すれば
合理的に思考すれば
人間の知性は
当然分かるはずだろ
と言っているように思う
そうかもしれないけど
そうではない人も多いと思うんだよな
理性と知性では
遮断出来ない何かがあるように思うのよね




