なんでこうも自分は心配性なのだろうと思った一方で、
心配というのは、しだしたらキリが無いものとも思えた

そう思うなら、心配しなければいいのだか、そうも出来ないのが自分

そうか、心配するヒマがあるから心配するのだ
その時間を自分から奪ってしまえばいいのではないか

カーネギーの「道は開ける」も

第三部「悩みの習慣を早期に断つ」

第6章「心の中から悩みを追い出すには」

で、常に忙しい状態に身を置くことを勧めている。

考える暇がなければ悩むこともないからだ。

 

章末にこう記している

 

多忙な毎日によって悩みを追い出そう。
活発に飛び回ることこそ「クョクョ病」に対する最良の治療である。

 

また、バーナード・ショーの言葉として

 

惨めな気持ちになる秘訣は、自分が幸福か否かについて考える暇を持つことだ

 

を紹介している

 

僕も、一時期、週末に時間を持て余すような余裕がないように

予定を入れまくった時期もあった。

 

出かける用事を作るだけでなく、

家にいても、

通新教育受けたり、

習い事通ったり

掃除したり。

 

そんな中でも掃除はよかったな

部屋がきれいになる充実感もあったし

モクモクと拭き掃除しているのは脳にも良かった気がする

 

あと、通信教育(僕の場合は放送大学)も

何の役に立つかは別にして、というような知識でも

それまで知らなかったことを学べた

というような充実感があって良かった

 

当時は、こうした諸々を予定として手帳に書き込んで取り組んでいた

スケジュールが沢山書かれたカレンダーのイラスト

忙しくするだけでなく、

アレやった・コレやった

という充実感も得られるんじゃないかと思って。

 

そういう面もあったし、

悩む暇は少なかったかもしれないけど

ただ、なんか気ぜわしかったなぁ

 

特に、その作業していることに

興味が出てこなかったり

あまりに単純作業すぎたりして

余計な思考が湧き上がる余裕があると

あまり効果なかったかも

 

しばらく取り組んだけど

途中から、

休みの日なのに

次はアレ、その次はコレ、と

スケジュールに追われているような気がして

ちょっと疲れるなぁという感じもあった

 

単に忙しくするということよりも

その時間は別のことに集中しているということが大切なんだろう