カーネギー『道は開ける』第一章より

不安を避けたいならば、ウィリアム・オスラー卿のしたように、

一日の区切りで」

生きること

 

未来のことで気を揉むことなく、

就寝の時まで、

その日一日に集中すること

 

カーネギーは『道は開ける』第一章の冒頭、
「一日の区切りで生きよ」
と先ず教える。
 
オスラー卿とはジョンズ・ホプキンス大学医学部創設者の名医だそうだが、
彼がイエール大学卒業式で前途洋々たる学生に述べた祝辞が、
一日の区切りで生きよ
ということだそうだ。
 
大型客船の船内が、
浸水防止のために
多くのシャッターで仕切られてることに例え、
人生の安全航海の秘訣は、
過去からの浸水をシャッターで遮断し、
さらに未来への漏水も遮断しろ、
と述べたというのだ。
 
過去を悔いることの愚かさを遮断せよということは分かる
 
過ぎ去った過去を幾ら思い悩んでも
どうすることも出来ない
悩むだけ時間の無駄だと言える
 
しかし前途洋々たるイェール大卒業生に、
未来をも遮断せよ、と述べたのだ。
 
未来を考えるなと言いたかったのではない
 
手元の今日を真剣に大切に生きよ
と言うことを伝えたかったのだ
 
カーネギーはこう解説する
 
明日に備える最善の方法とは、知性と熱意を尽くして今日の仕事に集中することだと説いているのです。

 

それが、未来に備えるために可能な、唯一の方法であるからです。

 

世界有数のイェールの卒業生といえども
これから先の新しい世界に踏み入れるのは
多少なりとも不安を抱えるのだろう
 
先も踏み入れたら今になる
その今に集中することで、さらにその先に備えられる
 
先に備えるために今に集中するのではないのだろう
その目的意識は既に先を向いている
 
先ずは手元の今に集中している結果として、
未だ来ぬ明日に備えられるということ
 
、なのだろう
 
とはいえ、明日のことを考えずに過ごすことは難しい
 
なのでカーネギーは優しくこうも言う
 
そうです。明日のことを是非とも考えて下さい。
慎重に配慮し、計画を立て、準備するのです。
けれども、決して心配してはなりません。

 

考えても心配するなと言われたら尚難しい
人は未だ来ぬ明日に希望だけを感じ取れる生き物ではないと思う
 
読者はそう言うだろうと思ってか
カーネギーはこう加える
 
生きられる時間にのみ生きることで満足しようではありませんか
 
確かに、既に生きてしまった過去に満足だ不満だと考えても仕方ないやろけ
未だ生きてない、体験してない明日のことに
気を配り準備は出来ても
気を病んでも仕方ない
 
「誰が明日に心臓を絶対動かしてみせると言い切れるか」
 
私の人生の師匠の、そのまた師匠が仰った言葉
 
考えだしたら、人は、明日の朝に目覚める保証すらもないのだ
 
先ずは今
体験できるのは今しかない
時間は「今」の連続
 
今、今、今…
 
 
こう思えられたらいいのになぁ
と思って読んだ記憶があります
 
なのに、過去において
あーすれば良かった
こうしとけば良かった
とか考えるし
 
先々のことを考え
あーしよう、こーしよう、と思うまではいいけど
はて、それで上手くいくか?
とか思い始めると
迷路にはまる
 
いま以外の、過去と未来を遮断せよ
 
そうできるよう務めねば…
 
と思ってました
 
 
でも、道元禅師の「正法眼蔵」の有事の巻を読んで
それは、凡人には難しかろう
とも思えるようになったのです
 
カーネギーから飛躍し過ぎかもしれませんが、
次は、カーネギー『道は開ける』第一章冒頭の上記に
道元禅師の有事を絡めて考えてみたいと思います